目次
◇18歳 男性 ◇大阪府で生まれ5歳の時に児童養護施設で暮らすことになる ◇小学生のときからサッカーを始めて、地元の強豪高校のサッカー部に所属して活躍する ◇京都の大学に進学が決まっている ◇目標:プロのサッカー選手またはスポーツ関連の仕事に就くこと ◇趣味:車が大好きでレースを見るのも自分で運転するのも好きです。 スポーツ観戦も好きで卓球からバレーまでスポーツ全般を観戦しています。
長所はクラスや部活では人の前にでて率先できることだと思います。 短所は雑なところで洗濯や掃除が苦手です。 サッカーをしていると活発と思われがちですが、一人で家にいることも好きです。
生まれて物心がついたときには私、父と祖母の3人で一緒に暮らしていました。その時に母はすでにおらず、母と会った記憶はありません。 おばあちゃん子で施設には5歳の時に入所することになったときはすごく寂しかったのを覚えています。 施設に入ることになった理由はわかりませんが、多分生活が苦しかったのかなと思っています。 施設での暮らしは、同年代の子どもたちがたくさんいて、いつも一緒に遊んでばかりで寂しいという思いはなかったですが、 おばあちゃんが小学1年の時に亡くなってしまったときは、とても悲しかったです。 施設ではにぎやかなだけど学校では大人しめな子供でした。 学校ではサッカー部に入ったのですが、最初は足が遅くて自分でいうのもなんですが本当にへたくそでした。
中学校に進学してからもサッカー部に入ります。学校は県大会でもベスト8の常連の学校で、1年生の時から試合に出してもらえるようになりました。2年生からレギュラーでキャプテンを任せられました。 勉強は自分ではやっているつもりでしたが、先生からはいつもまだまだ本気を出していないと言われ続けていました。このころから少しずつ人前にでることが苦手ではなくなってきました。 高校進学はサッカーができるところを優先して入学しました。部員は80名以上いてレギュラー争いは厳しかったですが、部員全員が仲良くてお互いを高めあえる関係でした。最後にはレギュラーにはなれませんでしたが自分自身ではやり切ったという思いで悔いなく高校サッカーを終えることができたと思っていました。
大学には小さいころから進学したいと考えていたので、大学では社会福祉を学んで施設の職員になれたらとなんとなく考えていたのですが、高校でのサッカー生活に対して、少しずつ後悔の想いが大きくなってきたので思い切って大学サッカー部のセレクションを受けて合格したことで、もう一度サッカーでどこまでやれるかチャレンジすることに決めました。
小学生の時にはなぜ自分だけ施設で暮らしているんだろうと悩んだこともありましたが、次第と施設での暮らしになれてきました。 自分ではなにも考えずに進学を決めたのですが、そこから奨学金の申請などわからないことばかりでしたので、施設の職員さんのサポートのおかげでなんとかお金の目途が立ちました。 自分勝手に決めたことに周りの職員さんを振り回してしまいましたが、施設にいなければ、職員さんがいなければ進学することはできなかったと思い本当に感謝しています。 これからも人生の節目には施設に帰って報告や恩返しをします。自分のことを一番知ってくれているのは施設であり、施設職員さんだと思うからです。 施設の後輩の多くが学校では部活に入っていない子が多いので、できたら部活に入って施設にいるうちに、様々な経験をしてほしいと思っています。
父からはいろいろと影響を受けていて、車が好きなのも父を見ていたからです。施設に入ってから中学になるまではほとんど会うことはありませんでしたが、恨んでいることはありません。感謝もしています。中学生時代から少しずつ会うことが増えてたこともあり、体の調子がよくないこともあり心配です。 母とは会ったことがないので、自分の中でどんな感情があるかはわかりませんが一度くらい会ってみたいと思います。
将来の夢はプロサッカーチームに入団してサッカー選手として活躍することです。たとえプロがダメでも大学で経営を学んでスポーツ関係の仕事をしたいと考えています。
君は長年サッカーを続けて、レギュラーで活躍をしていただけあって、負けず嫌いな一面と周りの仲間と一緒に努力をするというスポーツを通じて素晴らしい経験をもった、周りの人から愛されるキャラクターの青年であると感じました。 いくつもつらいことを経験してきたと思いますが、それを感じさせない明るい青年です。 施設の後輩の手本となり、これからたくさんの子どもたちの教育者として活躍してほしいと心から願っています。
学費 生活費
支援者様への報告 毎月みらいこども財団よりメールで近況報告を送ります 数ヶ月に1回Zoom報告会を開催します(本人出席)
施設に入所した最初の頃は、朝起きるのが苦手だったり、他の児童とも馴染めなかったりしました。しかし、彼の優しい性格と努力で、すぐにみんなの良きリーダー的存在へと成長していってくれました。特に勉強面での努力はすばらしく遅くまでこつこつと頑張っていました。また、一緒に自立のための食事作りをした時も、話を素直によく聞き、主体的に取り組んでいました。これからも人への感謝と素直な心を大切にひたむき誠実に歩んでほしいと思います。皆様からの温かな応援どうぞ宜しくお願い致します。
風太君は、 中学生の時から自分の将来の為に勉強に励み、 自分自身の力で選択肢を広げよう と努力していました。高校進学に当たっては、進学校と高等専門学校とで悩みましたが、自分の置かれている環境から高等専門学校を選択しました。 高等専門学校に在学中も、学部で トップクラスの成績を修め続け、学校内での活動も積極的に参加し、また将来の為に精力的 にアルバイトもこなすといった、とても充実した日々を過ごしていました。大学への編入も 数少ない枠を獲得してのもので、今回の大学院への進学も、風太君の普段の努力のたまもの だと思います。そんな風太君を一職員として誇りに思いますし、今後も応援しています。
風太君の素晴らしい所は、規制の枠に囚われず自分の可能性を拡げていけるチャレンジ精神、常に走り続け努力を継続できるバイタリティ、誰に対しても敬意や優しさを通せ信頼される人柄、無茶振りにも応じてくれる器の広さ、居室に虫が出現するとなりふり構わず助けを求めてくれる意外な可愛らしさ…。数え上げればきりがありません。 私は風太君が高校1年生から3年生の3年間、心のケアをする職員として接してきました。実は、風太君とはカウンセリングをする時間が数える程しかありませんでした。というのも、彼は常に自分の目標や熱中できる事を見つけ、それに忙しく過ごしていたからです。そんな中でも一緒に過ごす時間の中では、ずっと、落ち着いた中にも気さくな態度で接してくれました。 私が風太君にとても尊敬を感じたのは、養護施設の集団生活の中、どんな年下のはちゃめちゃな子に対しても等しく穏やかに接していたその優しさでした。彼の周りにいる児童たちは自然と穏やかになり、彼は力を使わずとも周りの尊敬を集めることができる懐の広さをその当時から発揮させていました。 また、風太君はたまたま私の出身の高校(工業高等専門学校)に通っていました。この学校はびっくりするくらい自由で誘惑も多く、しかも進学のための成績はシビアという、自己責任が強く求められる学校です。そんな学校で成績トップを走り続け、同時にバンド活動をはじめこちらが驚くような新しい挑戦をしたり、時には若さゆえのハメを外してくれたり。その姿には、見守るこちらもワクワクし、どんな大人になっていくんだろうと希望や夢を抱かせてくれていました。 そんな彼は、間違いなく、この激動の時代を軽やかに泳ぎ、私たちの想像もしないような成長を見せてくれるだろうな、そんな期待をしています! 彼は絶対にチャンスをモノにする、そんな男です。 (コロナがおさまったらぜひ施設やお寺にも顔を見せに来てね‼️ いつも応援し楽しみにしています♫)
〇〇のせいにしない。彼が施設に入所してから、今に至るまでを見てきて感じた彼のイメージの一つです。 児童養護施設には様々な理由で入所してきます。時には人のせい、環境のせいにして、自分を励ます事も必要だと思います。そんな中彼は〇〇のせいにする事なく、その時々に近くで支えてくれるひとから、多くを積極的に取り入れ、学び、そして感謝の気持ちも持っていました。そんな彼が次なる夢に突き進むためにも、オンライン里親様のご支援が必要です。ご支援をよろしくお願いします。
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児童養護施設の子どもたちを支援するには長期間にわたっての支援が必要不可欠です。 現在、児童養護施設に入所する子どもは低年齢化、さらに長期化しております。 1歳から乳児院に入り、18歳で卒業するまで児童養護施設で暮らす子どもが増えています。 そのような子どもたちを長期間支援するために、サポーター会員として継続的寄付をお願いいたします。
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みらいこども財団は、内閣府が主宰する「子供の未来応援基金」の支援を受けています。 子どもたちに寄り添って草の根で支援活動をする団体として、第4回未来応援ネットワーク事業に採択されました。
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