目標金額 支援者一人あたり 12万円/年 × 2年間  募集人数10名

石岡茉央(いしおか まお)さんのプロフィール ※本人が特定されないよう個人情報に多少の修正を加えています。

◇23歳 女性
◆神奈川県で生まれ小学5年生から中学3年生までに東京の児童養護施設に入所
◇18歳の時に家を出て、支援団体等の元で生活を始める
◆関東の大学に進み2022年3月で卒業
◇2022年4月より税理士を目指して関東の大学院に進む

自分のことや、趣味のこと

出かけることも好きですし、本を読んだりすることも好きです。栄養学とか一番好きなのは哲学です。あと自分の力で生きていく、自分で道を切り開いていく女性に憧れるのでそんな人のエッセイをよく読みます。茶道をしていたのでお茶を点てたり、映画も好きで最近は好きな俳優さんの出ている作品をよく見ています。

長所は決めたことを継続してやっていくことであったり、粘り強くしていくところです。短所は真面目すぎたり、心配性・不安症なところです。自分が考えなくていいところまで考えすぎてしまって上手く行かないことが多々あります。

茉央さんの生い立ち

生まれは神奈川県で、実の父母と姉と4人家族です。とにかく引っ越しが多くて、生活の拠点は基本的に東京や千葉でした。引っ越しが原因で幼稚園の卒園式にも出られませんでした。小学校2年生の時に父が家を出て行ってしまって、離婚はしていなかったんですけど、母子家庭のような形で姉との3人暮らしが始まりました。そのタイミングでも引っ越しをして、小学校が変わりました。お母さんが働きに出るようになってすごく寂しかったなというのは覚えています。
小学5年生になったときに実の父と母がまた一緒に暮らすことになり、それを機にまた引っ越しをしました。その後両親の虐待が原因で児童相談所に保護されてその間は学校に行くことができず、大規模な東京の児童養護施設に姉と一緒に入ることになり、そこで半年ほど暮らした後に小規模施設に移るということでまた小学校が変わったので、合計3~4回小学校が変わりました。一つの場所で長く住むことなく、継続した友達を作りづらい環境だったなと思います。
でも結構活発で、外で遊ぶのが好きでした。友達も結構多いというか、みんなでいるのが好きでしたね。

家庭復帰

母が今の義理の父と再婚するということで、中学3年生になるタイミングで家庭復帰をすることになりました。児相や施設は母の元にいるよりも施設で生活した方が良いという判断をしており、今振り返ると私もそう思いますが、家庭復帰を望んでいた理由は主に3つありました。
ひとつは幼少期の私はひどいことをされていても一緒にいたいと思うほど母が大好きだったということです。当時は児相や施設の大人をまるで敵かのように思っていました。
ふたつめは母の元の方が勉強を頑張れる環境だと思っていたことです。施設ではスポーツに力を入れている人が多くて、私も当時頑張っていて今でも好きなのですが、上手いわけではなくて結果を出せるタイプではありませんでした。だけど周りのみんなはそれなりに成績を残していて、私も何かできないと自分の存在意義なんてないと思っていたので、勉強に力を入れるようになりました。ただ学年でトップの子はみんな塾などに通っていたので、私も塾に行きたいと思っていて、家に帰った方が勉強ができると考えていました。
もうひとつの理由は施設への不信感を抱いてしまったことです。小規模施設では職員との距離が近い分、色んな部分が見えてきてしまいます。ちょっとした事件が起きたときに、自分がやったわけではないことを疑われて反省させられたこともあって、色んな理不尽さに耐えられませんでした。
こうした理由があって、「義理の父とは全然面識もないし嫌だな」という気持ちがありつつも家庭復帰をしました。

家庭復帰をしたのは私だけで、姉は高校卒業まで施設にいました。高校を卒業してからは仕事に就いたのですが、うまくいかなくて一時家に帰ってきました。でもすぐ家を出て行ってしまって、そこからは連絡が取れていません。姉とは喧嘩をよくしていたけど仲は良かったので今でもとても心配です。

家出と大学進学への思い

肉体的にも精神的にも色んなことを受けて周囲の人からは離れた方がいいと言われても家にいた理由として、自分の進路を実現したいという気持ちがあって、それを心の支えにして生きていました。施設に行っても良い環境に巡り会えるかわからないから戻りたいとも簡単には思えませんでしたし、家にいても何かされるけどまだ多少の自由もあって勉強などの自分のやりたいことができると思っていました。それに大学にさえ行けばアルバイトもできるし、色々自分でどうにかできると思って。ただ、母が受験間近になって第一志望以外は行かせないと言い始めました。とはいっても第二志望でも受かればきっと大丈夫だと信じて頑張ってきました。結果として第一志望に落ちてしまったのも悪いのですが、父からも「大学に行かせない」と言われて、第二志望はいくつか受かっていたのに浪人しないといけなくなりました。今思えば、家計も色々と金銭的にきつかったのかもしれません。交渉しましたが認めてもらえませんでした。
そこからは外に出ることを制限されたり、ご飯も自由に食べられない状況になって。ジュースに洗剤が混ざっていたこともありました。この先どうなっていくんだろうと考えると死にたいとも思ったんですけど、その勇気もなくて、生きていくんだとしたらここにいたら本当に命が危ないし、将来がないから逃げようと決心しました。
シェルターのような施設を運営している団体を見つけて、危ない場所だったらどうしようという不安もあって怖かったですが、家にいても変わらないからとりあえず行動しようと思って連絡を取って、支援者の方と綿密に作戦を立てて家を出ました。そこから3ヶ月ほどその施設にいて、その後自立援助ホームに移りました。自分の夢や目標を叶えたいという強い思いがあったから、勇気を出して助けを求めることができたと思います。

家にいたときに勉強を続けられた理由のひとつは、おそらく親に認められたいという気持ちがあったからだと思います。母も実の父も多分中卒で、学歴にコンプレックスを持っていて、小さい頃から勉強しろってすごい言われてて。姉はあまり成績が良くなくて、母も私に対して勉強を期待していたので、だからその期待に応えようっていう気持ちがあったのかもしれません。当時は自分の存在意義にすごくこだわっていて、その意義を勉強と決めたからにはやりたいという思いもありました。あとは新しいことを知ることや勉強自体が好きで、純粋に勉強がしたかったですね。それが諦めずに続けられた理由かもしれません。
大学では政治経済に興味があって経済とか法学部で勉強をしたいと思っていました。毎朝ニュースを見るのが好きだったことと、自分が福祉にお世話になってきたから、福祉にまつわる職に就きたいと児相や厚生労働省の国家公務員を志望していたことが理由です。

大学院への進学

大学に入ってからは国家公務員を目指して頑張っていました。中国語を勉強して短期留学できるプログラムなどにも申し込みました。そこで実際に働いている人の話を聞いたり、中国にいる学生の人と話したりしたときに、自分がやりたい制度改革に携われるのはキャリアのなかでもほんの一握りで私の通う大学では現実的に難しいなということがわかってきました。加えて、財政の勉強をする前は福祉に対してもっと国家予算を充てるべきだとかその必要性をもっと主張していきたいと思っていたのですが、勉強すればするほど自分に見えなかったものが見えてきて。今の優先順位で良いわけでは決してないですし、もっと工夫できる部分は絶対あると思いますが、そうなってしまう現状もわかるよなって、変えていくために自分に何ができるかって言われたら、国家公務員では難しいなって思ったんですね。

そこで目標がなくなってどうしようって思った時に、先輩が中小企業の経営コンサルをするインターンシップの募集があると教えてくれて、とりあえずやってみようと参加しました。そこで企業の方と関わったときに、中小企業のモノづくりの技術は本当にすごいと思いましたし、すごく熱量がある人も多いと感じました。でもその一方で、情報通信技術が使いこなせなかったりとか、制度の枠組みをうまく使いこなせなくてうまく行かない人もたくさんいるなと思ったんです。だからそんな人の応援をしたいなと思って、税理士を目指すようになりました。税理士は会計分野が主な業務ですが、その税理士業務をした上で経営コンサルもできるんです。具体的なわかりやすい例は補助金を申請するための事業計画書を書いたりとか。経営コンサルを専門とする中小企業診断士もいるのですが、体力的に雇うことができない中小企業も多くあるそうです。中小企業の経営者にとって一番相談しやすい身近な存在が税理士だというアンケート調査の結果も授業で学びました。診断士と同様の知識を持って業務をできれば新たに経営コンサルを雇う費用を抑えることが出来ますし、税理士は会計・税務面にも強いので、経営についてもより多角的な視点から企業をサポートすることができると考えています。そして、自分に置かれた環境の中で税理士になるために、大学院が最適な道だと考えて進学を決めました。

児童養護施設や社会に対して

今は施設に対してや当時の施設の人に対しての恨みもありません。介護の問題とかでもそうだと思うんですけど、働く人に柔軟な対応が求められて、マニュアル通りにいかない仕事で精神的な負担が大きいにも関わらず、お給料が見合っているかという問題もありますし、働いてる側の人が守られてないからそういう循環になっちゃうのかなとも思っていて、だから社会の問題なんじゃないかなというか。報われない子とか心が折れちゃう児童さんがいると思うので、施設がやってることとか、施設の実態というのはたしかに伝えていった方がいいとは思います。でもその一方で、働く人のこともちゃんと守っていくような制度にしていかない限り、変わっていかないのかなと思います。

両親に対しても過去を美化するわけではなく本当に客観的に、虐待をした両親、私の両親も恵まれた家庭だったかと言われたら2人とも色々複雑でした。学校で子どもの貧困を学びましたが、傾向として負のループは続いているわけで、この負のループを断ち切るためには、社会の制度を変えていったりとか、みんなで支えあっていくことが必要で。見えないところにこそ本当に大事な問題や価値があると思います。今自分が目標に向かって努力できているから俯瞰して考えられているのかもしれないですけど…。だけどやっぱり一番は子どもや今いる人が守られるためには、その働く人をとがめるんじゃなくて、何でその問題が起きているのかっていう本当の理由っていうのを見て、少しずつできる範囲で直していかないと、変わらないんじゃないかなということを思っています。

両親に対して

義理の父は母から子どもがいるとは聞いていなかったみたいで、邪魔だったということもあると思うんです。それでも当初は歩み寄ろうとしてくれてたと思う部分はあります。でも当時私は中学生だったので、あまりそれに素直になれませんでした。高校生くらいになってだんだんと感謝の気持ちも持つようになって、歩み寄りたいなと思った頃にはもう遅くて、父と母VS私みたいな感じになってしまっていて。全く上手く行かなかったですね。色んな要素が組み合わさってという感じで、一言で言えないのが難しいです。

大学1~2年の時、すごく生活が困窮していた時は、両親に対して本当にふざけやがってと思っていました(笑)。育てられないなら生まないでくれよじゃないけど、そのくらい憎しみとか恨みとか、そんな感情でした。少しずつ乗り越えてきて、今は母も高齢になってきたので、自分がちゃんと自立して、精神的にも対応的にも未熟な部分をちゃんとできるようになってから、自分が出来る範囲で関わっていきたいなと思っています。
親が子どものことは無条件に愛するというのは正直私は信じていなくて、親によると思うんですね。親の責任とか役割としては出来ていた方がいいと思うし、私が親になるときは絶対にそうでありたいけど、そうじゃない親もいて、私の親はそうじゃなかった。それでもやっぱり迷惑って言われなかったら普通に話したりとか、普通に手伝いしにいったりとか、金銭的なものだけじゃなくても親孝行ってできるんじゃないかなって思うから、できる範囲のことを、いつか、本当に漠然とですけど、そういう風に思ってはいます。周りの人にはやめとけって言われるし、母が望んでるかっていうところもわからないけど…。今迄みたいに愛されたいとか、自分がなにか欲しい、満たされたいとかそういうのではなくて、少なくとも産んでもらったからっていう風にちょっと思っています。
小さい頃の記憶でいつもパッと浮かぶことがあって。母が夜の仕事とかもしてて、朝帰りだったり夜中に帰ってまたすぐ出かけていくというような生活だったんですけど、私は母が大好きだったので、帰ってくるのを待って一緒に寝るということをしてたら、だんだん学校にも行けなくなった時期があったんです。小学校低学年の時の担任がすごく怖い先生で、宿題をやっていかないと怒られるということもあって学校に行きたくないって思ってたんですね。でも母は学校には行って欲しいから、宿題の漢字ドリルをすごく字が汚いのに、絶対バレるのに、やってくれたりしたんです。母は不器用だけど部分的には愛してくれてたのかなって。あと母は役所とかですごく揉めるタイプの人なんです。その隣にいるのは恥ずかしかったですが、でもそのくらい子どものためとか生活のために一生懸命なんですね。それが良いとは思わないけど、私を思ってやってくれたんだなって感じる出来事が端々にあったのかもしれないですね。

恨みのような感情を乗り越えたきっかけ

追い詰められた経験をしたことで、母たちの気持ちが少しわかるようになりました。私は暴力的にはならないですけど、疲れてくると余裕がなくなるとか、母の当時抱えてたストレスとか精神的なものを、同じ道はたどってないですけど、「そうもなっちゃうよな」と感じるようになりました。
大学での子どもの貧困とか心理学・哲学の授業もそうですし、本を読んだりする中で、こういった問題は社会の構造にあるなって思ったので、仕方ないよなといったらよくないのですが…。一般家庭の子と比べたら足りないモノが多いし、環境が違うけど、それを比較していても時間がもったいないなと思うようになって、与えられた環境の中で自分にとってベストな選択をして、なおかつ悔しさとかそういったものは、後に続く人が困った時にアドバイスすることとか、話を聞いたり、背中を見せることに繋げられるかなって、無理矢理ポジティブに考えて。とにかく現状を受け入れてそれでもどうしたいかに向かって、ハンデがあってもやっていくしかないなと思って乗り越えてきましたね。
あともう一つ、支援団体さんやそのスタッフの方の中でも信頼できる人ができて、ちゃんと話を聞いて対等に向き合ってくれる、困った時は相談できる人ができたことによって、投げやりにならなかったというか。困った時の住む場所とか、何かの手続き、生活とか友達とか恋愛とかで上手く行かないときも、絶対相談に乗ってくれて。本当にくだらないなって思うようなことも、ちゃんと話を聞いてくれて。絶対否定しないんです。すぐに解決できるようなものじゃないことも多いけど、見捨てないし、最後までちゃんとやってくれるという信頼感がありました。当時は投げやりになってた部分もあるけど、そんな人の存在のおかげで乗り越えられた部分もあると思います。

茉央さんの夢

弱い立場にいる人とか、思いを持った人の立場に立って、そういう人が乗り越えていくための力になれるような、しっかりした人になりたいです。そのためには知識が必要だと考えています。あとおどおどしちゃったりとか、緊張してしまったりとか、人として未熟な部分も多すぎると思っているんですけど、そういった部分は経験を積むにつれて築いていける部分かなと自分に期待していて。でもそのうえでも根っことなる自分の本質みたいなモノがちゃんとしていないと、役に立たなくなっちゃうなと思うので、今は人の話を聞くということに努めたいなと思っています。私は経験・スキルがないのでできることは少ないけど、人の気持ちに寄り添いたい。施設にいる子たちは例え小さい子でも、説明を受けていなくても、自分の現状を理解していると思うんですね。だからその気持ちに寄り添ってあげたりとか、あと自分もそうだったのですが、時間が経ってから生い立ちを振り返ったときに、あの時辛かった悲しかったって言えるようになったりすると思うので、それをひたすら聞くっていうだけでも学びになるし、相手のために自分ができることなのかなと思うので、そういうことを通じて視野を拡げた大人に成長したいなと思っています。社会とか身近な人に、何か役に立てる人間になりたいです。

 

みらいこども財団・スタッフの感想

茉央さんご自身は自分をまだまだとすごく謙遜されるのですが、芯があって自分自身の努力で道を切り開いていくことができる方だと思いました。ご自身で様々な支援団体を見つけて助けを求めることもとても勇気のいることだと思いますが、やれるだけのことをやるという意思の強さを感じますし、彼女の姿を見て応援したいと思わない人はいないと感じました。気を遣いすぎたり、肩肘張りすぎたりという面がありそうなので、茉央さんが少しでも力を抜くことが出来るように応援できたらと思います。

入学から卒業までの計画

 

支援金の使い道

学費
生活費

支援者様への報告
毎月みらいこども財団よりメールで近況報告を送ります
数ヶ月に1回Zoom報告会を開催します(本人出席)

 

 

 

 

茉央さんを応援してほしい理由

職員さん

茉央さんは、家庭での不適切な養育環境から脱するべく、18歳で当法人が運営する施設へ入所しました。入所当時から、向学心があり、ご自身でたてた進学目標にむけてこつこつ勉強を積み重ねていました。数ヶ月後に都内の自立援助ホームへ転居、また志望大学に合格し、現在に至るまで在学中です。
家庭からの支援は一切受けることができず、自立援助ホームを巣立ってひとり暮らしを始められてからも、アルバイトと各種奨学金にて、学業の維持と自立生活の両立をはかってこられました。新型コロナウイルスによって、飲食店でのアルバイト収入が途絶えた際にも、各種支援制度の利用や別の就労先への転換等、機転をきかせて危機を乗り越えてこられました。それらの努力は並大抵のことではありません。また、稼がなければならない生活設計にあっても、決して勉学をおろそかにしないという茉央さんの一貫した態度は、尊敬に値するものと常々感じています。他方で、就労と就学を第一として、心を豊かにするような楽しみや、ご自分をケアすることの優先順位をさげざるをえなかった時もあっただろうと思います。幼少期から、ハンディのあるにもかかわらず、人一倍の努力することを強いられ続ける社会的養護の子どもたちは、得てして、ご自分をいたわることを後回しにしがちだと案じています。
茉央さんは、当法人がOGOBとの交流のために実施しているプログラムを利用されることもあり、近況報告や困ったことがあったときに相談をしてくれる関係を維持しています。大学在学中に、社会人として目指す進路を真剣に考え、いくつかの選択肢から税理士資格の取得を志されたとうかがっています。具体的な目標設定をされ、大学院に合格されたことは、茉央さんの勤勉さの結実です。しかしながら、社会的養護のOGOB支援制度のなかで、大学院進学を応援しているものは、ほとんどありません。茉央さんは引き続き生活と学業両立のために、あらゆる努力をされるだろうと信頼していますが、生活の心配なく資格取得のために集中して学業に打ち込み、またご自身の精神面が穏やかに癒されるような時間も大切にできるようにと願います。物心両面からのご支援を賜りたく、どうぞよろしくお願い申し上げます。

寄付でご支援いただけませんか?

財団活動の多くは無償ボランティアの善意によって成り立っています。しかし子どもたちを継続して支援するためには、どうしても資金が足りません。

もし私たちの活動にご賛同いただけるなら、自由に使えるお金のうち少しをシェアしていただけませんか?
月100円からはじめられます。

生まれてきてよかったと子どもたちに思ってもらえる未来をつくるため、私たちは決して諦めません。