◇24歳男性 奈良県出身 ◆奈良県内の児童養護施設で育つ ◇施設退所後、4年間金属関連の工場に勤める ◆診療放射線技師の資格を取るために4年制の専門学校に通う3年生 ◇最近ハマっていること:アニメを見ること、ジムに通うこと
母子家庭で妹と育つ。小学校低学年の幼い頃から、お金を握って妹を連れて地域の食堂のようなところにご飯を食べに行ったり、母親の友人のところにごはんをもらいに行くなど、兄妹でなんとか生きてきたような状況だった。そこから何度か児童相談所にお世話になることがあり、小学校4年生の時に妹と一緒に児童養護施設へ入所、高校卒業まで暮らすことになる。現在は自身も妹も自立し、家族はそれぞれ別々に生活しているが、数ヶ月に一回は3人でご飯を食べに行くなど交流をしている。
小学校の時はやんちゃで落ち着きがなく、喧嘩や悪さをしていつも怒られていた。自分が悪さをした時に施設の職員が真剣に向き合って怒ってくれたことで、このままじゃいけないんだなと次第に落ち着くようになっていく。中学生の時には部屋の片付けに力を入れたり、学校では野球部に入部して3年生の最後にはピッチャーでエースとして頑張っていた。高校は学力の兼ね合いと卒業後の就職を見据えて工業高校に入学し、金属関連の専門的な知識を学ぶ。憧れていたサッカー部にも入部し、夏休みなども朝から晩まで練習を頑張り、3年生の時には試合に出るまでに上達した。 高校では同級生などの施設外部の人とのコミュニケーションに苦戦しつつも、電車で遠くまでお出かけに行けるというような、普通の人が普通にしていることをすることですごく世界が広がったと感じた。学校の友人とも良い関係を築く事ができ、今でも関係が続いている。
進学という選択肢が当時はなく、生活をしていくために就職の道に進んだ。筆記試験の結果が悪く3~4社落ちたが、最後は無事合格して金属工場に入社し、施設を出て一人暮らしを始めた。3~4年ほど経ち、ある程度生活が落ち着いてきたタイミングで自分のやりたいことを探し始める。「裕が頑張るなら先生も応援する」という出身施設の職員からの後押しも受けながら、診療放射線技師というなりたい職業を見つけて学校も探した。小学校の時にほとんど学校に行けていなかったことからずっと勉強に対して苦手意識があり、必要な教科である数学も苦手だったが、前出の職員から教えてもらって今は得意といえるほどに克服、無事に入試も通過して2019年4月より現在の専門学校に通っている。入学当初は朝6時~14時までアルバイトをして18時~22時まで授業を受けてという生活リズムを作っていくのが難しく、かなり苦戦していたが、今はその生活リズムにも慣れてしっかり両立できている。
母の病院に付き添ったときに見た診療放射線技師の人達がかっこいいなと思い、そこから色々と調べるうちに自分自身もなりたいと思うようになりました。放射線技師はレントゲンやMRIなどを撮影し、写真を見て病気を発見することが仕事です。写真を撮る人の腕によって早期発見できるかどうかが変わります。母は大腸がんだったのですが、運良く担当の方がすごく上手で早期発見できた。僕も早期発見できるようにしたいし、ちゃんと患者さんのことを思いながら、しっかりとコミュニケーションを取って撮影する、心の優しい放射線技師になりたい。加えて、患者さんのためにも自分のためにも日々努力できる人間になりたいと思っています。
学費 生活費
支援者様への報告 毎月みらいこども財団よりメールで近況報告を送ります 数ヶ月に1回Zoom報告会を開催します(本人出席)
園にいている時は、夏休み終わりに宿題が出来ずに毎年泣いていた事を思い出します。そんな裕君が、退園前の作文でみんなの前で涙して感謝を述べたこと、退園して1か月後に「先生たちみんなで食べて」と言って初給料で買ったお土産を手にして遊びに来たことを今でも忘れません。感謝をしっかり言葉や行動で表すことができる力は、裕君の味方をたくさんに増やすことが出来ると思うよ。 こんな彼ですが、あんまり得意でなかった勉強も一生懸命するほどの夢を見つけたみたいです。心から応援をしてあげたい。そして多くの方に彼の味方になってもらえることを心からお願いをしたいです。よろしくお願いします。
子どもの頃から元気いっぱい体を動かすことが大好きな裕君。中学高校と部活に一生懸命取り組み卒業、就職の道を選びました。そして4年後、専門学校へ。まわりから見ると、遠回りをしているようにみえるかもしれませんが、社会人として働いた4年間は無駄ではなく、たくさんのことを学び、自分の将来について考える大切な時間だったと思います。目標を持つことは、人生を豊かにしてくれます。つらい事もしんどい事もあるけど、感謝の気持ちを忘れず、前を向いて歩んで欲しいと願っています。
寺田君が卒園して7年がたちますが、色々エピソードを覚えています。寺田君は、年下の子の面倒をみたり、当時新任職員であった私にも沢山のことを教えてくれました。彼のやさしさに助けられた子どもや職員はたくさんいたこと、子ども達の中心に立ち、ムードメーカー的な存在だったこともとても覚えています。寺田君にあこがれている年下の子どもたちもたくさんいました。退園後も就職、そして進学と自分の道を切り開いて頑張っている姿を聞くと本当に感激です!これからも寺田君の夢に向かって進んでいく姿を応援したいと思っています!
元気に過ごしていますか? 園に居た頃は本当にやんちゃでしたが、明るい性格でフロアのムードメーカーでしたね。 園の退所と同時に就職をし、頑張っていることは聞いていましたが、それでも本当にしたいことを見つけ、学校に行って勉強をしようという決断に感動しています。 自分の人生、自分で色々決断し進めていくことは大変ですがとても大事なことです。 裕君の持ち前の明るさとガッツで夢に向けて突き進んでください。 応援しています。
元気にしてますね、きっと。思い出されるのはちゃらんぽらんな姿ばっかりで、ダメだよと言ったすぐ後にダメと言われたことをやって叱られる、そんなイメージが頭にこびりついています。懲りずにまたやるんですけどね。なので、社会に出て真面目に働いている姿に本当にびっくりさせられたのを覚えています。打たれ強く、根は真面目、そして愛嬌がある。実は社会で役立つものを沢山持っていました。これからも頑張ってください。
裕くんは、小学生の時はやんちゃですぐに腹を立てて怒ったり、そうかと思うと注意されるとよく泣いていた男の子でした。高校生くらいから変化があり、たくましくなりました。高校卒業後は、堅実に仕事をして安定していました。でも、そんな生活の中で裕くん自身、夢をもち目標を見つけたと聞き、とても嬉しく思いました。お金も勇気もいることですし、苦手なことから逃げず前向きに取り組む彼の姿を頼もしく、素敵に思えました。彼の夢を応援したいと思っています。
みらいこども財団では「貧困や虐待についての現状」「児童養護施設の現状と課題」「みらいこども財団の活動内容」について詳しくお伝えするオンラインセミナーを定期的に開催しております。まずはお気軽にご参加ください。
オンラインセミナーに参加する
児童養護施設の子どもたちを支援するには長期間にわたっての支援が必要不可欠です。 現在、児童養護施設に入所する子どもは低年齢化、さらに長期化しております。 1歳から乳児院に入り、18歳で卒業するまで児童養護施設で暮らす子どもが増えています。 そのような子どもたちを長期間支援するために、サポーター会員として継続的寄付をお願いいたします。
寄付で支援する
遺言に基づいて特定の個人や団体に資産を分け与えることを「遺贈」といいます。 遺言書の内容により、受取人やその内容を指定することができます。 一部またはすべての財産の受取人として一般財団法人みらいこども財団をご指定いただくことで、日本で貧困や虐待で苦しんでいる子どもたちの支援や奨学金としてご支援いただけます。
遺贈について
お問い合わせはこちら
みらいこども財団は、内閣府が主宰する「子供の未来応援基金」の支援を受けています。 子どもたちに寄り添って草の根で支援活動をする団体として、第4回未来応援ネットワーク事業に採択されました。
お問い合わせ