目標金額 支援者一人あたり 12万円/年 × 4年間  募集人数8人

飯田太朗さんのプロフィール

※本人が特定されないよう個人情報に多少の修正を加えています。

 

〇18歳(インタビュー時) 男性 (兵庫県出身)
〇四人姉弟の末っ子
〇小学4年生から高校卒業まで児童養護施設で暮らしていた
〇2024年4月から4年制大学に進学した

自分自身のこと

野球が好きで、メジャーリーグをよく見ます。それ以外は特にめっちゃ好きっていうモノはあまりないです。Youtubeもよく見ますが、それも野球関連で選手のハイライトなどを見ています。(出身施設の職員様曰く、ハマったことに集中するタイプとのこと)
飽きっぽいとは思います。趣味とかがないわけではなくて、「これしたいな」みたいなことはよくあるんですけど、やってもすぐ飽きるので。ゲームとかも、ストーリーの長いものは途中で飽きます。(野球が続いているのはなぜ?)なんですかね、運命じゃないですか(笑)
あとは画像編集や映像編集も飽きずに続いていて、暇つぶしにコラ画像を作って友達に送って遊んだりしています。
長所は諦めが良いところです。無理だと思ったら早い段階で引き返して他のことをします。やれるところまでやったという感覚で次に行くこともあれば、早めに無理だなって思ってしまう時もあります。
短所は諦めが早いところです(笑)後から振り返ると「できたな」と思う時もあって、でもそのタイミングだともうできなかったりするので。

 

太朗さんの生い立ちから施設入所まで

北海道で生まれました。姉・兄・兄がいる4人姉弟の末っ子です。上3人とは父親が違います。父親とは会ったことがありません。覚えていないですが、おそらく姉だけは祖母の家にいて、母と兄2人と自分の4人で暮らしていました。
4年間ほど過ごして、4~5歳頃に大阪に引っ越しました。その時も多分母と兄2人との4人で、生活保護で暮らしていたんだと思います。その当時は学校に通っていない状態で過ごしました。小学校2年生ぐらいの頃に兵庫に引っ越して、母の内縁関係の男性と暮らし始めました。学校という存在もそこで初めて知りましたが、「行け」とも「行くな」とも言われていなかったので、週に1回午後から行くか行かないかくらいでした。それでも友達自体はいたので、遊んでいた記憶はあります。学校に行っていない日も普通にみんなが学校が終わるのを待って一緒に遊んでいました。
生活の状況は、不定期に給料が入るような仕事だったので、外食に行ける時は行くんですが、月の最初に外食に行き過ぎて月の最後はお金がなくなって、親が兄に「ゲームカセット売れ」と言うような、そんな感じでした。
4年生くらいの時に急に児相の人が家に来て、一時保護所に入りました。詳しい経緯は知らなくて、教育を受けさせる義務を果たしていないということで、おそらく育児放棄扱いになっていると思います。傍から見たらそうしたネグレクトみたいな感じになっているようですが、僕自身は暴力されたとかはなかったです。
一時保護所に行った当初は家に帰りたかったし、帰れると思っていたのですが、結局半年ぐらいいてそのまま施設に移りました。その頃になると家に帰りたいという気持ちはなかったのですが、一時保護所の先生と仲良くなったので施設に移るのが嫌でした。正直一時保護所にはひどい人もいましたけど、その方はすごく良い先生で、会えなくなるということで号泣した記憶があります。

 

小学校~高校について

施設での生活がはじまり、小学校にも普通に通い始めました。それまでは週1回くらいしか通っていませんでしたが、親が学校に行かなくていいという方針だったからというだけで、行くのが普通だと言われたらできるので抵抗は特になかったですね。勉強面も、学校に行っていなかった時期に相当長い時間ゲームをしていたので、漢字や計算は自然と覚えていました。覚えないとゲームができないから勝手に覚えたという感じですね。一時保護所の時にもできたらどんどん上のレベルに進めるという感じで中1くらいの内容まで取り組んでいたので、困ったことはなかったです。
社会とか理科は全然知らなかったですけど、小学校はほぼ遊びで、たとば工作キットみたいなのを1人1個持って、言われた通りにやって、電池を入れて走る車を作るとか、そんな感じで別に勉強でもなかったという感覚です。唯一困ったのは音楽でリコーダーの吹き方がわからないとか、そのくらいだったと思います。
施設では小学生はみんなフットサルをするという感じだったので、4年生で施設に来てから3年ほどしていました。小学生の頃から野球自体は好きだったので、中学では野球部に入りました。あまり波もなく一定のテンションで過ごすタイプなので、小中学校ともに印象に残っている出来事などは特にないです(笑)
中学に入ってからも勉強は特に困らず、クラスでもずっと1位で、5教科も9割切ることはないというレベルだったので自分は最強だと思い込んでいたのですが、中2で塾に入ってみると賢い子がたくさんいました。僕が数学の問題を1問解いている間にもう4問くらい解いてるような子もいて、その子たちと戦うような環境になって、レベルが全然違うんだと感じて頑張りました。ただ中3でコロナがあって全部オンデマンド授業になったんです。対面でできなくなったことでめっちゃさぼってしまって、偏差値も最大で15くらい下がりました。それでもそのままの感じで続けていたのですが、受験前の10月くらいにさすがにやばいと思い始めて、そこからは冬期講習で詰めて、本当に最後だけ頑張って第一志望の高校に入りました。その高校の志望理由は校舎が綺麗だったからです(笑)

小中学生の時は同期の子とか年下の子と知識的な部分でなかなか話が合わなくて、年上の子と仲良くすることが多かったのですが、高校に入ってからは周りの子も知識レベルが高い子が多くて。中学までは同級生と接するのが少し苦手だったんですが、高校に入ってからは同級生ともつるむようになって、これからも時間が合ったら遊びたいなという友達ができました。ちょうど今日もこの後来るんですけど(インタビュー時)。
部活は高校でも野球部に入りました。中学の時は正直、勉強と同じく野球部でも自分が最強だと思っていて。狭いコミュニティだったので、人数が多くても絶対にレギュラーに入れるような、圧倒的にできる方だったんです。高校でも下手な方ではなかったんですが、それでも全然レベルが違って、小学校からやっているような子たち、自分と同じとかそれ以上の実力の子とレギュラー争いをするような環境になりました。まさに2ヶ月後の大会に向けてレギュラー争いをするというような経験は初めてで、すごく意識して練習しました。あまり媚びを売ったりするのは得意じゃないですが、監督に媚びを売ったり…(笑)中学生の時の塾にしても、高校の野球部にしても、競争社会の厳しさを知っても腐らずに頑張れたのは、自分がまだ中間くらいの位置にいたからかなとは思います。自分が一番下だと感じていたら多分諦めていました。

 

 

 

 

 

大学受験~進学後について

勉強に専念するために野球部は高2でやめました。というのは8割くらいで、あとの2割は正直冬メニューがきつかったというのがあります(笑)あと2年これをしないといけないのかと思うときついなと思って、野球は今ここでじゃなくてもどこでもできるしなと思って辞めました。学校自体が進学校だったので大学に行かないという選択肢は1ミリもなく、野球部を辞める時点で行きたい大学も決まっていました。でも結局自分が思っていたほど勉強をしなかったので、野球部を辞める必要はなかったかもしれません。勉強せずともB判定が出ていたので、そんなに慌てなくても良いかと思ったんだと思います。野球部続けててもできたのでは?と振り返ると思います。

当時は映像系に進みたいと思っていて、その分野の大学を志望していたのですが、いざ学費を計算してみると他のところより240万くらい高くて、さすがにきついなと思って志望を変更しました。

国公立・私立含めて視野に入れていましたが、映像系以外は正直あまりこだわりはありませんでした。理系は少ししんどそうなので法・商・経営・経済などの文系で固めようと決めて、一般入試を受けて無事合格しました。
4月から大学に通い、商学部で勉強しています。今は簿記とか統計とかの勉強をしていて、その上に国際ビジネスとかの分野があります。
友達もできました。自分と同じように一般入試で入った子は、やはり同じ苦しみを味わった者同士だからかすぐ仲良くなりました。

 

児童養護施設での暮らし

別にめっちゃ暴力してくるみたいな子がいたわけではないですが、ちょっとな…と思う子もいました。
良かったところは広さですね。多分他の施設に比べたら相当広かったので。
ちょっと嫌だったなって思うところは、もう言っても仕方ないところがあるので。ノーコメントでいいですか(笑)
思春期に周りの子たちと施設で暮らしている自分のことを比べて辛く感じるということは全くなかったです。自分としてはなんで他の子がそう感じるのかがわからないので、自分がそう感じなかった理由もわかりません。高校の時は親がいないこととか人との違いを持ちネタにしてギャグのように言っていましたし、施設から通っているということも全く隠さずに自分から話していました。

 

家族との関係

1個上の兄(4つ違い)とは連絡を取ることがあるんですけど、それ以外はないですね。施設にも一緒に入った兄です。多分今は生活保護を受けてるんじゃないかな。
1番上の兄とは年が結構離れていて、自分が施設に入ったときにはおそらく働いていたんだと思います。
施設にいる間から親との面会などはなかったです。母親もおそらく一緒に暮らしていた当時の内縁の男性とは別れているんじゃないかなと思います。全く把握していないのでわかりません。母親に対しては別に何も思わないですし、お金だけ送ってもらえたらいいかなって感じですね(※実際にお金を送ってもらっているわけではない)。特に印象に残っていることもないですし、会いたくないですね。

 

将来の目標

仕事は商社一択です。できれば総合商社がいいですがおそらく難しいので、食品系の専門商社かなと思っています。マーケティングや卸売業って、モノの流れもあるんですけど、人の心を読むみたいな、民衆が次にどういう動きするかなとか、 何が流行るかなみたいな予想をして、 生産を増やすとか、あの店にいっぱい売り込むというような、その駆け引きみたいな部分が面白そうだなと思います。やりたいことは変わらないので総合商社が難しい時に分野を絞るのであれば、食品系が面白そうだなという感じです。営業に関しては、BtoBだと対会社なので一人の人が判断するのではなくて多くの人が関わって意思決定をすると思うんですが、そこで買ってもらえたらそれだけ実力があったと感じることができると思うので楽しそうだなと。
あと映像系は好きなので、副業として不定期で出来たらと考えています。小規模なレベルで、友達の友達の結婚式のムービー作ってと言われたら作るとか、そんなイメージです。
仕事以外の面で、どんな人になりたいとか、人生の目標みたいなものは現時点では特にないです。

 

後輩へのメッセージ

特に小学生とかだとすぐに家に帰れると思っていると思いますが、でも実際はなかなか帰れなかったりもするので、10年くらい施設にいるんだよということは伝えた方が良いんじゃないかなと僕個人としては思ったりします。
あと勉強はしない理由がないので、最低限はした方が良いと思います。

 

インタビューに同席してくださった職員様のお話

話を聞いていただいてわかるように、賢い子なんです。自分のことも客観的に見ているようなところがある。こうした面が集団生活をしている中でも方針を決める時に、「ちょっと待って、こうした方が良くない?」とか「これいらないよな」とか、すごく合理的に物事を考えることができるので、良いアドバイスをくれるのが太朗くんだったりするんです。私は女の子のフロアの担当だったところを最近自立支援担当になったので、退所するころくらいから密に関わるようになったのですが、小さいころから施設にはいたので何となく知っている部分はあって。誰もそんなこと考えてなかったなと思うような意見を言ってくれるところが太朗くんの面白いところだなとずっと思っていました。今回のお話もまさしくそんな感じで、太朗くんらしさを感じるところがたくさんありました。聞くだけで楽しませてもらえます。
あとはやはり勉強が好きですね。本人は普通にするものだというくらいで思っていると思うのですが、勉強が苦手な子や学校が嫌だなと言うような子もいますけれども、その中で淡々と躓きなくやっていて。自分の中で計画立てて取り組めますし、自分で自分の未来を切り開いていくだけの力をちゃんと持っている子だと思っています。

 

みらいこども財団・スタッフの感想

クールで淡々とされた印象の太朗さん。職員様もおっしゃる通り、賢い方なのだなと感じました。大学卒業後は商社で働くという目標があり、その志望理由も漠然としたものではなく、明確に話してくださったので、ただただ感心してしまいました。きっとこれまでご苦労もあったと思うのですが、物事に対しても自分自身に対しても客観視して解決策を見つけて乗り越えてこられたのかなと想像します。里親さんからもたくさんのことを吸収して、自分の知恵や力に変えて、目標を叶えて行くことができる方だと思います。応援よろしくお願いいたします。

 

資金計画

(簡易版)

(詳細版)

 

支援者様への報告

毎月みらいこども財団よりメールで近況報告を送ります
数ヶ月に1回Zoom報告会を開催します(本人出席)

 

 

太朗さんを応援してほしい理由

職員Aさん

生活の中では、しっかりとルールを守り、年下の子からも慕われていた頼りになる子でした。頭が良く勉強やクラブなど目標に向かって頑張る力をもっています。
退園前には本児と職員でぶつかり合う事もありましたが、それは、太朗君が、しっかり自分の考えを持って先々の人生について考えているからこその行動だったのだと改めて感じています。
心配なことにも向き合い解決していけるよう、皆さまのご支援をよろしくお願いいたします。

 

職員Bさん

園での生活、大学受験時期に目標に向かって一生懸命頑張っていた姿が思いだされます。その向き合った時間は無駄ではなかったと思うし、これからの人生で必ず活きてくると信じています。大学の授業も始まって、慣れない履修や新しい友達関係、自炊をしたりと忙しい日々を送っていると聞いています。
これからの人生、色々な選択をしないといけなくなる事があると思いますが、前向きに、努力をした上でなら、もし失敗しても悔いが残らないと思います。自分の選択、自分のやってきたことに自信を持って、頑張ってほしいと思っていて、これからも応援していきたいと思っていますが、施設職員だけで出来ることも限界はある為、どうかご支援をよろしくお願いします。

 

職員Cさん

小さいころから好奇心旺盛でいろんなことに興味を示していたことを覚えています。自身がなくてチャレンジすることは苦手だったけど、自分のしたい事の為に進路を選び、受験も頑張りました。人から協力を得ることが今でも少し苦手なので、色々な人と関わり、たくさんの事を学んでほしいと思っています。 皆様にご協力いただき、本児への支援の輪が広がっていく事をありがたく思っています。よろしくお願いします。

 

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