目標金額 支援者一人あたり 12万円/年 × 2年間  募集人数 7人

萩原友樹さんのプロフィール ※本人が特定されないよう個人情報に多少の修正を加えています。

〇18歳(インタビュー時) 男性 (佐賀県出身)
〇兄弟はいない
〇0歳児から乳児院、児童養護施設でくらしている
〇児童養護施設の職員を目指し、23年4月から短期大学へ進学

自分自身のこと

長所は明るいこところです。高校時代は文化祭で友達と一緒にステージでコントをしたり、体育祭でも応援団でみんなを盛り上げました。
短所は何か困難なことに直面すると自分の中ではあきらめムードになりやすいところです。
今はアルバイトを探しているのですが、なかなか決まらないと、あきらめようかという気持ちになってしまいます。
自分自身のことに関して、最初知らない人から見ると、とっつきにくい印象があるようですが、仲良くなればとてもよくしゃべるタイプだと思います。友達からはうるさいくらいしゃべるよね、とよく言われます。
趣味は、歌を歌うことと、体を動かすことです。
好きなアーティストはいませんが、スマートフォンのサブスクでいろいろな音楽を聴いています。
最近のお気に入りは清水翔太や玉置浩二の歌で、カラオケで歌うことも多いです。
体を動かすことも大好きで、施設にいたときからずっと野球とバレーボールを続けていて、今はバレーのサークルにはいっています。
また今は、自動車教習所にも通っています。はやく免許を取得して、いつかは自分のバイクにのってみたいと思っています。

友樹さんの生い立ちから施設での生活

産まれたのは九州で、父と母がいて兄弟はいなかったと施設の職員さんには聞いています。
児童養護施設に入ったのは1歳になる前なので、物心ついたときには施設が当たり前の生活でした。
父には一度もあったことはありません。
母とは5歳の時に一度会ったことをなんとなく覚えているくらいです。
自分は他の子どもと違うんだと思ったきっかけは、授業参観の時に他の友達は親が学校に来ていて、僕には来てくれる親がいなかったことです。
でも、そのことであまり悩んだことはありません。施設で暮らすのが当たり前で、楽しかったからです。でも、普通の家庭ってどんなものなのかなという興味はありました。
施設に入った理由は、僕を産んでから母の体調が良くなかったのが理由だそうです。
施設は50人以上の子どもがいて、学校では毎日ドッチボールや運動場で走り回っていました。
子どもたちとはゲームをしたりベイブレードに夢中になっていたのを覚えています。
何にでも好奇心旺盛な子どもでした。

中学校~高校

地元の中学校に入学して、野球部に入りました。もともと施設でもチームを作って野球をしていたのが理由です。ポジションはセンターかレフトで、レギュラーとして試合にでることはできましたが、学校の大会での成績はあまりよくなかったです。ほかの学校に比べたら練習は楽だったので、今思えばもっと練習を頑張っておけばよかったと思います。
クラスでの僕はにぎやかなタイプで、みんなの盛り上げ役でした。
勉強は苦手で成績は本当に普通でした。得意な科目は国語と理科で社会、英語、数学が苦手でした。
中学校の思い出は修学旅行で島根県に行ってスキーをしたことです。広島県で原爆ドームを見学したり、夜の宿泊先では友達といろいろな話をしたり、とても楽しい思い出になりました。
中学校時代の友達とは今でも一緒に会って、遊んでいます。

高校はとりあえずどこかに入る、というのが目標で自転車で通える高校を選び、一般入試で合格することができました。
高校生活で目標にしていたのは、まわりの人みんなと仲良くなるということです。
その理由は、みんなと仲良くなれば高校生活は楽しくなるんじゃないかという、軽い考えでした。
それから、自分から手をあげて学級委員に立候補して、学級委員になりました。
実際に学級委員になってよかったことは、先生や普段関わりのない生徒にも自分を知ってもらえるようになったことです。
そのほかにもいろんな行事で生徒をまとめるためのリーダーシップを身につけることができたと思います。
修学旅行のときも事前準備から終わるまでは大変でしたがとってもよい勉強になりました。
その反面、なにかで自分が失敗した時は、学級委員は人一倍叱られるということも知りました。(笑)
高校では部活ではなくアルバイトをしようと考えていたので、高校2年に入ったころからコンビニで、17時から21時まで週3回くらいで働いていました。
アルバイトの給料はスマートフォンの料金と、残りは進学資金のために施設に貯金してもらっていました。

高校生の時の一番の思い出は、修学旅行です。
学生生活のほとんどはコロナで制限があってやりたいこともできませんでしたが、その分修学旅行が何倍も楽しかったです。
文化祭では、友達みんなと、生徒の前でコントを披露したことも良い思い出です。
みんなでなにかを一緒にやり遂げるということが僕には何よりも楽しかったです。

 

進路について

進路については高校に入ってから職員さんと話をする機会があって、体を動かすことが好きな自分には「消防士や自衛隊がいいんじゃないか」というアドバイスがあったのですが、自分が子ども好きなこともあって子ども関係の職に就くことを考えたときに、進学する道があるんじゃないかと具体的に考え始めました。
実はその前に、高校に入学したとき、施設の3年上の先輩が進学したのをみて自分も進学したいと思ったこともきっかけになったと思います。
その後、職員さんに「進学したい」と相談した時に、「やりたいことをやってみたら」と言ってくれたことから、進学が具体的な目標に変わりました。
最初は4年制大学に進学することを考えましたが、お金のことを考えて短期大学に進学することを決めました。
でも、勉強は相変わらず嫌いで、成績はクラスの真ん中くらいだったのですが、目標を決めてからは自分なりには頑張りました。
その結果、自己推薦という制度を活用して、無事に保育系の短期大学に合格することができました。
保育系の大学を目指した理由は、子どもが大好きなのと、自分自身が児童養護施設で暮らしていた経験を活かすことができるからです。大学では保育士・幼稚園教諭の資格を取得することができます。今は考えていませんが、さらに1年延長すれば社会福祉士の資格も取れるそうです。
全国に僕のような親と暮らせなかったこどもがいるから、元気づけるために、学校を卒業したら児童養護施設で働きたいと考えています。

児童養護施設での暮らし

児童養護施設は自分にとっての家です。子どもたちや職員さんも全員が友達だと思っています。
施設のよいところは、学校以外でも友達といつでも会えて遊べるところです。
生活にはいろんな厳しいルールもありましたし、友達の家に泊まれなかったりしたのは辛かったですが、厳しいだけでなくて子どもたちの自由もあります。
ちゃんとした生活ができたのはありがたいと、卒業した今だから、心の底から思うことができます。

僕は、施設で暮らしているという理由で、嫌な思いをしたことはありません。
地域の人も分け隔てなく接してくれる環境で、周りの人には恵まれていたと思います。
学校の友達にも、自分が施設で暮らしていることを隠さずに話すことができるのはそのおかげです。

施設の職員さんには本当にお世話になりました。
奨学金の手続きや、進学することができたのも施設に入れたからだと思います。
施設を出て、一人暮らしで生計を立てられるのかという不安があったので、職員さんからアドバイスをもらって措置延長の制度を使って児童養護施設の中で生活をしています。
今までのように、すべて職員さんが助けてくれるという環境ではありませんが、家賃が必要ないのと何かあれば職員さんにすぐ相談できる環境で生活できるのはとてもありがたいです。
4月から今の生活で、食事などは自分でつくらなければならないので、慣れていないことをするのは結構きついですが(笑)

母親との関係

最近児童相談所の職員さんに聞いたことですが、父と母は籍を入れていなかったので離婚ではないそうです。
父と母が籍を入れなかった理由は、僕が産まれてきたときに父が働いてくれなかったのが理由です。
それでも母一人で僕を育てることは難しく、施設に預けなければ母も生きていけないくらい大変だったということも自分なりには納得していたので母を恨んではいません。自分と他の人とを比べることはなく、なぜ自分だけこんな目に遭うんだ、とは思いませんでしたが、母にたいしてはずっと会いたいと思っていました。
児童相談所には小学生のときから母がどこにいるか聞いているんですが、母とは連絡がとれないようで今はどこにいるかもわからない状況です。

父とは一度もあったことはありませんし、名前も最近知りました。
父に対しては、ちゃんと働いてくれていたら家族一緒に暮せていたのにという思いはあります。
もし、今父と母と会うことができても、自分の親と思えるかどうかは分かりませんし、不安です。

将来の目標

将来は児童養護施設の職員になって子どもを支えることが目標です。
1人で生活ができるようになれば、自分の家族を持ちたいです。
施設にいる子どもたちを見ていて、とてもかわいいので、自分の子どもならどれだけかわいいんだろうと想像すると、とても楽しみです。
施設の職員さんには、大学を卒業して、就職をして働くことで、喜んでほしいと思っています。
給料をもらったら、真っ先にお世話になった職員さんに食事をご馳走したいです。

施設のこどもたちへのアドバイスは「先生の言うことはしっかりと聞く」「出された食事は好き嫌いせずに感謝して食べる」です。
昔は職員さんに注意されて反発していた時もあったのですが、卒業してやっとわかることがとても多くて、職員さんは本当に自分のことを思って注意や指導をしてくれていたんだなぁと思います。

財団スタッフの感想

自分でも明るい性格、と言っていた通りになんでもオープンに話してくれて気さくな青年でした。
かっこをつけずに自分の苦手なことなどを正直に話してくれるところなどに誠実さを感じました。自分の経験を活かして子どもたちを支援したいと話している姿はとても楽しそうでした。
無理をせずに措置延長で施設内で暮らしていることから、生活についての負担軽減につながっていますが、卒業まで2年という短い期間でアルバイトや実習をこなさなければなりません。さらに卒業後の独り立ちにもお金が必要になります。
是非みなさんの暖かい支援をお願いいたします。

 

資金計画

(簡易版)                         (詳細版)

         

 

支援者様への報告
毎月みらいこども財団よりメールで近況報告を送ります。
数ヶ月に1回Zoom報告会を開催します(本人出席)

友樹さんを応援してほしい理由

職員Aさん

幼い頃より施設で生活しており、持ち前の明るさで幼い頃よりムードメーカー的な存在で、周りからも好かれる性格でしたが、本児自身も人と関わることや小さい子のお世話が好きで、いつしか保育士を志すようになりました。相手の気持ちを考え、周りへの気配りもしっかりできる子ですので、保育士は本児にぴったりな仕事だと思います。4月より第一志望であった短期大学に入学し、新しい環境の元、今後の自立に向けて自炊も始め、慣れない電車通学に、高校までの勉強とは違う学びに毎日刺激も多く、学校の課題もたくさんあるようですが、夢実現に向けて頑張る本児です。今後は第一の目標である保育士資格取得に向けて、現場実習等も学校のカリキュラムの中で複数回予定されていることから、ますます忙しい学生生活となりますが、本人が安心して夢実現に向かって邁進することができるよう施設としてもサポートできればと思っていますので、応援の程、よろしくお願いいたします。

職員Bさん

本児は「人の役に立つ仕事がしたい。」と小学生の頃から言い続け、今では「養護施設の職員として働きたい。」との思いを胸に、保育士の免許取得を目指し、短期大学に入学しました。園内でも良きお兄ちゃんとして幼児さんと遊んでくれたり、職員のことも気に掛けてくれたりと、良く周りが見えて人のためにと考える事ができる児童でした。高校生活では、進学資金のためにアルバイトをし、部活には所属していませんでしたが、野球やサッカー等、助っ人を頼まれることもあり、持ち前の運動神経で貢献しました。園内や学校でも誰からも慕われており、頼りになる存在でした。短期大学では自分の将来の為、保育士免許取得を目指し頑張ってっほしいと思っています。
本児の人柄から、将来は立派な保育士、施設職員になってくれることを期待しています。そんな本児が心配なく学業に励むことが出来る様にご支援いただけると幸いです。よろしくお願い致します。

寄付でご支援いただけませんか?

財団活動の多くは無償ボランティアの善意によって成り立っています。しかし子どもたちを継続して支援するためには、どうしても資金が足りません。

もし私たちの活動にご賛同いただけるなら、自由に使えるお金のうち少しをシェアしていただけませんか?
月100円からはじめられます。

生まれてきてよかったと子どもたちに思ってもらえる未来をつくるため、私たちは決して諦めません。