金額 支援者一人あたり 12万円/年 × 3年間 募集人数7人
〇19歳(インタビュー時) 男性 (関西) 〇ひとりっ子 〇小学3年生から児童養護施設に入所、高校生で家庭に帰る 〇2024年4月から4年制大学に入学し、社会学を学んでいる。
施設の職員さんや学校の先生など周りの方から「とにかく大学に行け~!」と言ってもらっていたので、自分も大学に行きたいと思っていたのですが、お金の問題が出てきました。 高1の時に施設から家に帰って母と暮らし始めましたが、施設を出るときにもらった子ども手当やお小遣いで貯めていたお金をすべて母が使ってしまい…。 このままでは受験ができないと思って飲食店のアルバイトを始めましたが、ビール樽を持って階段を何往復もしないといけないようなことがあって腰を痛めてしまったり、とにかくシフトに入れと言われてストレスで帯状疱疹になってしまったり、大変でした。
お金がなくてどうしようと思っていたのですが、成績で指定校推薦をもらえる可能性があるということがわかりました。 文系だったら法律系、理系だったら薬学の勉強をしたくて、文系か理系どちらに行くか迷っていたのですが、最終的に文系に行くことを決め、犯罪社会学という授業があることを知って、今の大学を選びました。
元々自分が警察の人とかに助けてもらうことも多かったので、そんな人になりたいなと小学校の頃から思っていました。それで法律系などの方面に興味を持つようになりました。 3年生からより専門的な勉強に入っていくのですが、1年生はその準備のための基礎的な授業だったり、統計学や英語などの授業が主になっています。面白かったのはニュース検定の授業で、テキストをただ解くだけではなくて、政治・経済・暮らしなどのテーマを分けてお互いにクイズを出し合うというものです。
忙しいけど、大学は楽しいです。
施設では基本的に衣食住が絶対にあって、お小遣いとかももらえます。門限はありますが、友達と遊べたり、施設行事として夏や冬に旅行に行くこととかもあったので、施設に入らない方が良かったと思うことはなかったです。ただ、門限は少し伸ばしてほしいなと思っていました。 小言は結構言っていましたが、そんなに大きな問題があるとか、そういうわけではなかったです。 喧嘩した時などはご飯を食べないという抵抗をするので、それは職員さんからすると意外と困ってたらしいです。こっそりご飯を作ってたから、自分は問題なかったんですけど… 家出とかのそういう発想にはならなくて家出したところでどこに行くねんということがあるので、じゃあご飯食べないという抵抗をするぞという感じでした。
今お金の管理をしているのが父で、ちゃんと計算してるはずなのに、週の後半とかになると、自分にお金貸してほしいみたいなことを言ってくるんです。そのようなところはあまり好きじゃないのですが、それ以外は気にするほどでもないです。 母は機嫌が良い時は自分のこととかもしてくれるので助かるのですが、機嫌が悪い時は色々グチグチ言われるので、夜が少し眠れなかったりします。母自身がパチンコに行ってお金がなくなったのに、それでご飯を安く済ませないといけないことに対して文句を言っていたりします。嫌いよりの普通かな…という感じです。
高校生までは警察官になりたいと思っていたのですが、そんなに前から決めなくてもいいなと思うようになりました。また大学でいろんな職業とかに触れると思うので、そういうのを見てからでも決めるのは遅くないんじゃないかなと。今勉強している法律系の分野に進みたいとは思っていますが、ほかの分野も含めていろんな職業があることを知ったうえで、最終的に決めたいなと思ってます。
(どんな人になりたい?) 人に注意をするときに「自分はやってるくせになんでそれをお前が注意できる?」みたいな矛盾してる人にはなりたくないので、下の人とかに注意するならそのことを自分もやらないようにするとか、そういう筋の通った人になりたいです。
自分も結構、色々ことあるごとに絶望とかしていたんですけど…。手助けしたくなる人って努力してる人じゃないですか。だから、とりあえず諦めるより先にやれるだけのことをやっていたら、周りの人たちが手助けとかしてくれると思います。周りの人に頼れるなら話してみて、助けてもらいながら、必ずしも1人でやらないとダメってわけじゃないので、いろんな人に頼りながら、諦めずにやってほしいなって思います。
竜太くんは優しくて不器用で、真面目な男の子です。入所した頃は、他の人の顔色ばかり気にして、不安や緊張でいっぱいでした。少しずつ施設の生活に慣れ、将来のことも考えるようになり塾に通いながら学業をがんばっていました。小学生の頃は警察官になりたいと言っていましたが、それも施設に入る時にお世話になった警察官に優しくしてもらったからと話していました。 一度家庭に戻りましたが、ヤングケアラーになっていた彼が「もう限界」と言い、もう一度施設としてできる支援を始めました。彼が社会の中で、自信を取り戻し希望を持って大学生活を送ってほしいと願っています。
竜太君は自分の事より他人の事を優先出来るような、心の優しい青年です。施設に入所している時は、困っている子に優しく声を掛けてくれたり、悩んだり悲しんだりしている子にはそっと寄り添ってくれるなど、いつも皆のことを気に掛けてくれていました。高校生になり家庭に帰ることになった時も、このまま施設に残り高校生活を続けていかなければならない仲間のことを最後まで気に掛けてくれていました。その後家庭で色々あり、苦しそうな竜太君でしたが「俺は(家に)帰れただけ幸せや。」と言い、歯を食いしばって頑張っている様子をみて、施設として何とか竜太君の力になりたいと再度支援することになりました。そんな竜太君がまた前を向いて自分の目標(明るい未来)に向かって歩いて行って欲しいと願っています。
友達にはマイペースでは意外と繊細とよく言われますが、自分で良くも悪くも当てはまるなと思います。友達と話しているときに少しボーっとしてて「え、ごめん何?」となることも多く、人の話をあんまり聞いていないことがあります。あとは自分なり予定を立てていても、行くのが遅くなって、間に合わなくて遅刻してしまうということもよくあります。
怖がりなとところもあります。雷や地震など自然災害は本当に怖いです。
長所は少しお節介なところです。同じ授業受けてる友達に「課題の提出日いついつまでやから気を付けてね」と声をかけたりとか。 あとは例えば、電車通学なのですが、体調悪い人がいたらとりあえず声をかけます。偽善とか言われてもやらないよりはマシかなと思うので、躊躇なくできるのが自分のいいところなのかなと思います。
直したい短所は遅刻癖です。絶対に遅れられないときは色々ルートも調べて遅れないようにできるのですが、ちょっとした用事だとだらけてしまって結果間に合わず遅刻してしまうことが多いので、そこはダメかなって思います。
趣味:バイト帰りに散歩がてらちょっと遠回りをして帰ることが最近の楽しみです。大切にしているのはどんなに忙しくても睡眠時間を絶対に取ることです。
父親と母親と3人家族でした。自分が保育園の時に両親が離婚して母と暮らすことになりましたが、母が少し精神的に不調があって八つ当たりのようなことをされることが多かったです。
小学校は少し転々として、一時九州の祖父母の家にいたこともあります。友達と打ち解けてきたころにまた転校となるので、悲しかった記憶があります。
小学校1年生の頃くらいからだんだんと養育が難しい状況になり、一時保護をされました。一度は家に帰ったのですが、状況は良くならずここにいたら命がないなと思っていました。ある時、母親から「学校辞めると自分で電話しろ」と言われてかけた電話で、学校の先生に「来てほしい」とお願いして家に来てもらい、それがきっかけで一時保護をしてもらいました。その後家には帰らず小学校3年生で施設に入ることになりました。
施設に来た当時のことはあまり覚えていませんが、当時は大人が全員怖かったと思います。親がいないのが悲しくて泣いていましたが、時間が経つごとに慣れていきました。 最初の頃は施設での過ごし方がわからなくて、ほかの子から嫌なことをされることが多かったです。でも小学生みんなから恐れられている職員さんがいたので、「Xさんに言うぞ!」と言うとたいていの子はひるむことがわかりました。それでもひるまない子にはやられたことをそのままやり返していました。そのうちに嫌がらせを受けることはなくなりました。陰で子ども同士のバトルがありました(笑)
小学校ではみんながしゃべりかけてきてくれたので、緊張する間もなく友達もできて問題はなかったです。勉強は家にいたときは全然していなくて、施設に行ってからちゃんとできるようになったので、苦労しました。国語の漢字は特にわからなくて…。でも負けず嫌いな性格なので頑張りました。 休み時間は鬼ごっことか、ドッジボールとか、外で元気に遊んでいました。
中学校は部活(卓球部)と塾で忙しかったです。部活動はレギュラーに入っていて、練習試合なども朝が早かったですし、塾が終わって帰ってくるのがだいたい22時くらいなので、その次の日朝早く起きてというのが大変でした。
生き物が好きなので、魚を飼っていました。大きめの水槽も買ってもらって。 今自分が住んでいるところには水槽が置けなくて、お父さんのところに置いていてもらったのですが、昨年の夏に気温差が激しくて、最後の魚が亡くなってしまって悲しかったです。
勉強は小学校みたいに勉強せずにできる部分もあるのかな?と甘く見てしまって、中1の最後の方に何かの教科で36点を取ってしまいました。これはまずいと思って中2から勉強を頑張って、2学期から少しずつ80点超える教科が出てきて、そこから順に全教科で80点を超えるようになりました。国衙や英語は少し苦手だったのですが、理科や社会、数学では90点以上を取れるようにもなりました。
やり始めるまでは遅いのですが、一度やり始めると「もしこんな問題が出たらわからないから、この問題も解いておこう」と次々に続いてやっていきます。テストでわからない問題が出てきてしまうと少しパニックになってしまうので、「先生だったらこう出すかな?」と予想して、しっかりと準備をしていました。
高校の志望理由は公立の高校にしては校舎がきれいだったことです(笑)内申点が少し怪しかったのですが、なんとか頑張って合格できました。
部活はせっかくだから中学とは違う種目をしたいと思っていました。卓球の延長線上でできるかなと思って硬式テニス部に入りました。いざやってみるとボールが速くて怖かったです。卓球は当たってもそんなに痛くないけど、テニスは当たったら痛いし…。顧問の先生があまり熱心ではなくて、大会には1回くらいしか出ませんでした。練習しているコートも正規のコートとは大きさもサーフェスも違って、ボールの跳ね方も全然違って、セットは取れましたがぼろ負けしました。大会とかの目標はなかったですが、部活は楽しかったです。ダブルスをすることが多くて、自分はボレーが好きでした。
勉強は高1のときはまずまずでした。物理が苦手でしたが、そのほかの教科はいい成績を取れていました。高2からは物理から好きな化学になりました。欠点を取ることもありましたが、3年間を通してひどい成績を取るということはなかったです。
体育会で剣道部に所属しています。大学から始めたので、まだ全然ですが少しできるようになってきたかなと思います。今はまだ上回生が試合に出ることが多いので、選手として試合に出ることも目標の一つです。
あと学生会にも入っています。生徒の声を聞いて、例えば○○を設置するために何円という予算が降りているので、それを企画して学生支援課に提案をしてやってもらう『立案』や、snsを使って宣伝するのは『広報』などもありますが、自分が所属している『事務』はそうした活動に使うお金の計算とかをします。例えば、ある部活でいくら使ったから返してほしいというような書類が提出されてくるので、それを自分たちが確認して、学生支援課に送って、お金をその部活動の人たちに返すみたいなお仕事をしています。就職活動等で「大学時代で何をやりましたか」ということを聞かれると思うので、ちょっと話のネタを作れたらと思って入りましたが、少し大変です。
薬局とカラオケでアルバイトもしています。 大学がある時は、課題で2時とか3時とかに寝るので、3時間4時間くらいしか睡眠時間が取れないのですが、休みの時は10時間くらい寝たりするので、そこで元取っていると思います。
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