目標金額 支援者一人あたり 12万円/年 × 3年間  募集人数8人

木下恭平さんのプロフィール ※本人が特定されないよう個人情報に多少の修正を加えています。

〇18歳(インタビュー時)男性 (中部地方生まれ)
〇中国人の父、日本人の母のもとに産まれる。
〇幼少期に両親が離婚、母子家庭を経て、中学3年生から児童養護施設に入所
〇2025年4月から3年制の鍼灸師学校に進学
〇将来は鍼灸師として人を健康にし、笑顔にすることが目標

 

自己紹介

長所:

いろんな人と関わるのが好きで、初対面の人にも自分から話しかけることができます。スノーボードが好きで、上手な人がいたらコツを教えてもらいたいので、「すごいお上手ですね!」と声をかけたりします。恥ずかしい気持ちもありますが、それよりも上達したい・知りたいという気持ちが勝るので、積極的に話しかけます。そうやって人とのつながりを広げたり、さまざまな考え方に触れたりするのが好きです。

 

短所:

気分屋すぎるところです。例えばスノーボードでも、「今日はこの技を練習しよう!」と決めても、転んで疲れると「別の技にしようかな」となりがちです。でも、一度「これをやる!」と決めたら頑固になってやり続ける一面もあります。

 

趣味:

体を動かすことが好きです。今はスノーボードに夢中です。高校1年のときに児童養護施設のイベントで初めてやってみたんですが、ハマったのは今シーズンからです。雪が降ったすぐ後に滑ると本当に気持ちがいいです。色んな技に挑戦するのですが、技が決まった時はとても楽しいです。

中高はバドミントンをやっていました。バスケも好きで、スポーツは個人競技・団体競技のどちらもそれぞれの面白さがあって好きです。

 

 

誕生~小学校時代

生まれた時の家族構成は父・母・自分の3人だったと思います。父は中国人、母は日本人のハーフです。3歳のときに両親が離婚し、それ以降は中3で施設に入所するまで母と2人暮らしをしていました。

 

父との記憶はほとんどありませんが、3歳のときにおもちゃを買ってもらったことは覚えています。とても背が高く感じたことが印象に残っています。父は中国に帰ってしまい、自分は中国に行くつもりがないので、もう会えないかなと思っています。

 

子どもの頃は活発で、友達と外で遊び回り、よく怪我していたので、ずっと膝が痛かったです(笑)。そして他人にかまって欲しくてちょっかいをかけまくる性格でした。どうやったら笑ってくれるかな、とそればかり考えていて、良くも悪くも一目を置かれていたと思います。

勉強は算数が好きで、宿題が終わっても自分で問題を解いて楽しんでいました。早く解けると気持ちよかったです。

 

放課後は友達と遊んだり、母親同士が仲の良い家庭と一緒に食事をしたりすることもありました。また、母が録画していたドラマを見るのも好きで、一番好きだったのは『水戸黄門』でした。

 

中学校時代

中学校に進学すると、バドミントンに興味を持ちました。しかし、学校にバドミントン部がなかったため、母の知り合いが運営していた社会人サークルに通い始めました。多いときは週4回、片道10キロをギアなしの重たいママチャリで通い続けました。送り迎えがなかったので、移動はすごくキツくて大変でしたが、それでもやりたいという気持ちでなんとか続けました。

 

家庭環境は厳しく、中学3年生の終わりに児童養護施設に入所しました。小3くらいから家で食事は出たり出なかったりで、中1くらいからは母が男性関係を作ってなかなか帰って来なくなって、なんとか冷蔵庫に残っているものを工夫して食べていました。特に麺類ばかり食べていて、栄養バランスはめちゃくちゃでした。そのため、給食の時間には野菜をたくさん食べるようにしていました。とにかくお腹が減っていたので給食の時はものすごく量を食べていました。

 

母からはとにかくいつも理不尽なことで叱責されていました。自分は子どもだったから「ごめんなさい」と謝るしかできなくて、裸足のまま外に締め出されることもありました。中3の時にとうとう、それまでの15年の我慢の限界がきてしまって、施設に入ることを決めました。

 

それまでも施設に入るか?みたいな話はあったんですけど、環境を変えるのが怖くて、なかなか決心することができませんでした。

中学のときの先生にはすごく感謝していますが…最初は自分の状況を話しても、なんかこう、中学生にありがちな、ちょっと嘘の上乗せされた愚痴だろうみたいな感じで捉えられていて、なかなか信じてもらえませんでした。

でもずっと話してたら、家まで見にきてくれたり、食べ物も全然なかったんで、ご飯を持ってきてくださった先生もいてすごくお世話になって。

それで、だんだん、自分の家っておかしいのかな、って思うようになってきてはいたんですけど…わからないじゃないですか、他の家のことなんて。でも先生から、「しんどかったらそういうところ(施設)に行った方がいいよ」と言われて、それでやっと決心できたという感じです。

 

 

児童養護施設での生活

施設に入所後は、職員の方々が話を聞いてくれて、少しずつ、心の辛かった部分が緩和されていくような感覚がありました。遅れてた発達が一気に元に戻ったみたいな感じで、少しずつ精神的に安定していきました。多分それまでは精神年齢がずっと保育園くらいのまま止まっていて、それが一気に小学校高学年レベルまで上がったぐらいだったんですけど、一気に周りが見えるようになって。

 

入所前は本当に家に親がいなかったんで、自分も深夜ずっと出かけていたり、友達の家でご飯食べさせてもらったりしていたので、門限がある等施設のルールに戸惑うこともありました。でも衣服代が出たり、安心して生活できる環境があったので、「門限あっても最高だな」とありがたく思ってました。

 

自分が入った施設は、もうみんな、ものすごく温かく迎え入れてくれて、本当に家族のような人たちでした。家にいた時は、親に甘えたりもできなかったのですが、職員さんに「これお願いします」って頼んだら「もうしょうがないなー」って感じで受け入れてくれて。歳が近い子たちも何人かいて、今でも仲良く連絡取り合ってます。小学校くらいの子達も「遊ぼう!遊ぼう!」って感じで来てくれてすごく可愛くて、なんだろう、本当に兄弟ができたような感じでした。

 

高校時代

高校受験の直前に施設に入ることになったので、高校はもともと視野に入れていた学校の中から、施設に近いところを選びました。当時は高校卒業後は就職を考えていたので、就職に強そうな学校だったというところも決め手になりました。

 

高校では、バドミントン部に入部しました。中学の時の社会人サークルとは違い、競技レベルが高く、最初は空気感に慣れず苦労しました。何度も辛い、やめたいと思いましたが、施設の先生に、「最終的に決めるのは自分だけど、やるんだったらやりな」と厳しい言葉を言われて、当時の自分にはきつい言葉だったのですが、「だったらもう、意地でやってやれ」みたいな気持ちになってなんとかやり抜きました。

目が悪いこともあって、最初は全然勝てなかったのですが、施設の職員さんに相談したら、コンタクトの許可をもらえて。視界が良くなって一気に世界が変わって、少しずつ勝てるようになりました。

同世代の仲間に支えられたことも大きく、そのおかげもあって3年間やり続けることができました。

顧問の先生にもすごくお世話になりました。

 

子どもの頃の話でも話しましたが、「周りを明るくしたいけど空回りしちゃう」みたいなのが自分はずっと続いていて。それで高校2年生の時に、ちょっとクラスから距離を置かれたことがあって、それでちょっと不登校になってしまった時期がありました。高校3年生になってから、顧問の先生と話した時に、「恭平はありのままでいいよ」と言ってくれて。その他にも色んな接し方のコツや心の置き方のようなものも教えてくれて。それで結構、人と上手くやれるようになってきました。本当に感謝しています。

 

進路について

進路については、もともとは美容師に興味がありました。髪型ひとつで人の印象が変わることに魅力を感じ、人を笑顔にする仕事に憧れていました。しかし、施設にボランティアで来ていた美容師さんに「美容業界は厳しいよ」と言われ、違う進路を考えるようになりました。

 

その後、鍼灸に興味を持つようになりました。

高校2年生の時に大きく体調を崩したことがあり、ものすごくしんどくて、「健康が一番だな」と強く感じました。その時に鍼灸師である母から鍼治療を受けて、完全に治ったわけではないけど一気に体調が良くなって「人を健康にする仕事ってすごい」と感じました。健康はすべての土台だと考え、鍼灸師を目指す決意をしました。

どの学校に行くかということは、自分で調べたり、人にも話を聞いたりして結構ギリギリまで悩みましたが、最終的に母の出身校であることと、先生方にも勧められたこともあり、進学先を決めました。

 

学校に通う3年間は、金銭的には余裕はないので、アルバイトをしつつ、自炊もやっていこうと思っています。

放課後に技術室というところで練習ができるので、授業以外のところでも自分を磨きながら、なるべく勉強に専念したいです。

 

実は入学金の支払いため必要な大きい金額がどうしても用意できなくて、本当に嫌だったんですけど、親に泣きながら頭を下げて一部を出してもらいました。親を頼らなきゃいけないということが悔しくて、自分の無力さというか、それが辛かったです。

 

1年目の学費の問題はなんとか目処をつけたのですが、学校を卒業しないと鍼灸師にもなれないので、どうにかして卒業をしないと、と焦る気持ちがあります。

 

家族への思い

母については、実は自分の中で明確なメリハリがついています。親としては反面教師であり、親になってはいけない人だったなと思っています。産んでもらったので、そこは感謝をしているんですが。

でも母は鍼灸師としては本当に腕が良くて、仕事をしている母はとても尊敬していて、目指すべき姿だと思っています。

ただ、もう一度一緒に暮らしたいという気持ちはありません。

一時期、少し関係性が良くなったかなと思ったこともあったのですが、最近また大きなすれ違いがあり、やっぱりこの人は変わらないなと思い、また0からスタートという感じです。

 

 

将来の目標

最終的な目標としては、仕事を通じて人を笑顔にしたい。そして笑顔にするのはやはり健康が一番なので、鍼灸を通して人を健康にしたいです。

 

鍼灸って「痛そう」「怖い」というイメージを持っていて、一歩踏み出せずに受けてないっていう人も多いと思うんです。そういう人たちにまずは鍼灸の存在を知ってもらう、そのきっかけになるような鍼灸師を目指したいです。

 

施設の子どもたちに伝えたいこと

夢があるなら、最後まで貫き通してほしいです。あとは、頑張れってことを伝えたいです。

 

資金計画

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施設職員さんからのメッセージ

職員Aさん

お調子者だけど、とても繊細な子なので、いろいろと心配ですが…ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、夢に向かって頑張ってね!

 

職員Bさん

今は社会人になるための準備期間だね!大人になるってことは大変だけど、面白さもあるよ!これからの人生は自分次第!やる時はやる男だと信じています!これからも一緒に夢に向かって頑張っていきましょう!

 

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