◇20歳 男性
◆父は大樹さん妊娠中に事故で他界、祖父・母と暮らしていた
◇小学1年生から19歳の大学入学前まで児童施設で暮らす
◆中学時代はソフトテニス部、高校時代は将棋部に所属、団体戦県大会で準優勝の成績を収める
◇2023年4月より4年生国公立大学に進学
◆目標:大学院を卒業し、人の生活を豊かにするものを開発したい(IT系)
◇趣味は音楽を聴くこと(J-pop、ボーカロイド)
長所:性格は穏やかで、何に対してもゆったりとしていられるところです。何に対しても、あまり怒るということはありません。
また、言語化することは割と得意かなと思います。例えば、友達から相談を受けた時に、それはこういうことじゃない?と伝えたら納得してもらえたりするので、そう思います。
文章を読むことも好きです。最近読んだのは、大学のドイツ語演習の中で読んだ『ファウスト』です。
短所:予定を先送りするクセがあるところです。最終的に間に合わせはするのですが、締切ギリギリになることが多いです。計画は立てるものの、途中少し怠けてしまい、ギリギリになってしまいます。最近だと、大学のレポートが締切直前の提出になってしまいました。
また人間関係を広げるのも苦手かなと思います。自分から人に話しかけることがなかなかできなくて、そこは直せたらと思っています。話しかけたら、話せはするのですが、そこから深めるのは難しいです。
趣味は、最近はできていないのですが、音楽を聴くことで、J-popやボーカロイドをよく聴きます。好きなアーティストはYOASOBIさんです。ボーカロイドは人では出せない音・表現があるところが面白いと思います。リズムゲームも好きです。
生まれてから、小学校入学後すぐに祖父が亡くなるまでは、祖父と母と3人で暮らしていました。父は母が自分を妊娠しているときに、交通事故で亡くなったと聞いています。兄弟はいません。3人で住んでいた時は今より活発で、近所の友達と遊んだりしていました。
施設に入ったきっかけはあまり詳しく話されていませんが、母からのネグレクトだったらしいです。何故入所したかはあまり覚えていないし、知らされていないまま入りました。小学校入学直後に祖父が亡くなり、母がしんどくなったという感じなのかなと思います。ちょうど今頃の時期(8月)に、夏休みに一時保護所に入ってから、施設に入所にました。自然と、気がついたら施設で暮らすようになっていたという感覚です。
施設入所に伴い、小学校も転校しました。転校した時の気持ちは覚えていません。小学校時代はおとなしい子供だったと思います。本を読んだりすることが多く、インドア派でした。スポーツは特にしていなかったです。勉強は嫌いじゃなかったです。算数が得意でした。
中学は地元の学校に進学しました。同じ小学校出身の人も多かったです。小学校時代と変わらずおとなしい子供だったと思います。部活はソフトテニス部に入りました。入部した理由は、中学では運動系の部活に入りたかったけれど、そんなにガッツリは嫌で、そんなに厳しくないとう噂だったからです。(笑)
試合にも出ていましたが、そんなに勝ち進んだことはなくて、行けて市のベスト8くらいでした。ソフトテニス部は勉強ができる人が多くて、周りについていったら自身も勉強ができるようになっていました。理科・社会が得意でした。
中学時代の楽しい思い出は部活動を頑張ったことです。
残念だった思い出は中学校最後の大会で結果を残せなかったことです。2回戦でシードの人と当たり、負けてしまいました。
この頃ハマっていたのが漫画で、『青の祓魔師』を集めていました。
成績はクラスでは1位か2位、学年では10位以内くらいでした。
高校は地域の進学校にすすみました。進学先に合わせて進級クラスが分かれる等制度が充実している点にも惹かれてその高校を選びました。
施設からは10キロ以上離れていたので、毎日の通学がちょっとしたサイクリングみたいな感じでした。
高校時代も今までと変わらず静かでおとなしめだったと思います。ですが同じ中学から進学した子もいたので、交友関係には困らなかったです。ただ、親友と呼べる人はいなかったです。
高校では文化系の部活に入りたいと思っていたのと、その頃世間でブームが起きていたこともあり、高校では将棋部に入部しました。2、3年はコロナ禍の影響で試合がなかったのですが、1年の時は団体戦で県の準優勝でした。将棋をするのは勉強をしているのと似た感覚がありました。自由参加OKという雰囲気で、部員は10人くらいでした。
中学では窓ガラスが割られるようなこともあったのですが、高校は平和な雰囲気でした。
理科系の科目が得意でした。学業成績は学年でも上位2割以内にはいました。
高校時代の楽しかった思い出は、一年の文化祭で演劇をやったことです。とある少年漫画のパロディをやったのですが、徐々に形になっていくのが楽しかったです。
残念だったことは、高校2年生の時に緊急事態宣言が出て、2、3年はほとんど学校行事がなかったことです。修学旅行も近場に変更になりました。部活ももう少しやりたかったなあという思いがあります。授業はリモートで実施されたり、課題が送られてきて、それを施設でやったりしていました。
施設は全体で40〜50人の子供たちがいて、一つの家に8人くらいで暮らす形で暮らしていました。
施設では1人で過ごすことが多かったです。友達は居なくはないけど3、4人くらいで、大勢で遊ぶのはあまり好きではなかったです。
3人部屋で同じ学年の子が仲良くしてくれて、楽しかったです。よく部屋の中で遊んでいました。施設に関して、特にルールが厳しいなどの不自由さは感じていなかったです。
施設は自分にとって、自分の家、という感覚です。
職員さんは親というよりかは頼れる大人、と思っています。
施設に入ってよかったところは、学習や進学の面でサポートを受けられたところです。
授業料・教科書代を出して頂けて塾にも行かせてもらえてありがたかったです。母と暮らし続けていたら進学できなかったかもしれないと思います。
反対に嫌だったところは、小学生の時に自由に外出できず、学校から帰ったら友達の家遊びに行けなかったことです。
中学くらいまでは自分が施設に暮らしているということも周りはわかっていました。
昔から、色々な場面で一般家庭ではないのだと感じていましたが、他人と比べて「なんで自分だけ」とはなぜか思わなかったです。
高校ではわざわざ(施設育ちであるということ)は言わなかったです。
施設出身者への誤解等はなくしていければいいなと思います。
他人に対して、羨ましいとかは思わなくはないけど、仕方ないかなという感じです。
父は自分が生まれる前に交通事故で亡くなったと聞いています。写真も一枚も手元になく、顔も知りません。お父さんに対しては、一回話してみたかった、どういう人だったのか知ってみたかった、とは思います。
母とは一緒に暮らしていた幼児期についてもほとんど思い出はないですが、唯一、小さなことですが、幼稚園の時毎年ソフトクリームの無料チケットをもらっていて、一緒に食べにいっていたことは覚えています。
小学1年生で施設入所後、4年生までは年2回、お盆とお正月に外泊で会っていましたが、母の体調が優れず、数年会わない期間があり、中学2年からまた再開していました。
高校3年生からは勉強が忙しくて、会いにいくこともありませんでした。
大学に進みたい、とは中学時代から思っていました。進学を希望した理由は、高卒よりも大卒の方が、自分が将来的にできることが多そうだと思っていたからです。大学進学については中2から施設の先生に相談していて、奨学金のことなどを踏まえたアドバイスを頂いていました。熱心に勉強する人や進学する人は少ない環境でしたが、施設の先生は手厚くサポートをしてくれ、中2から塾にも通わせてもらっていました。
私立だと学費がかかってしんどいと思い、学費の安い国公立大学を目指していました。
当初希望していた大学は残念ながらご縁がなかったのですが、今の大学は、2年次から学部を選択できる点が魅力だと感じ、ここに進学することを決めました。
将来は人の生活を豊かにするものを開発したいと考えていて、2年次からは理系の学部に進学したいと考えています。
施設の先生からは、自分の人生なので、選びたいように選びなさいと言われています。
ゆくゆくは大学院への進学を希望しております。そのために必要な資金を、大学時代の間に貯蓄する必要があります。今後、家庭教師か予備校教師のアルバイトをしようかと考えております。
4月から始まった大学生活に関しては、今のところ快適で、勉強も頑張っています。
大学の授業では、自然科学実験の授業が面白くて、大学OBの研究者が行った研究実験をしてみるという内容のもので、毎週実験してそれについてのレポートを書いています。
学生委員会という、学生主体でイベント運営をする委員会に入っており、オープンキャンパスの企画をしたり、楽しく活動しています。
もうちょっと世間一般のことを知った方がいいと伝えたいです。
例えば、お肉だったらこれくらいの値段が基準であるとか、一ヶ月で水道代・電気代はこれくらいかかるとか、そういうことを全く知らなかったので、自分は一人暮らしを始めた時にとても困りました。
他にも勉強はしときなよ、ということも伝えたいです。
施設は勉強嫌いの子が多いのですが、宿題とか、「やらされている感じ」が強いからなのかなと思います。
実際にお話をしてみると、物静かだけれどしっかりとご自分の考えを持っていて、とても真面目で芯の強い方だなという印象を覚えました。
ご家庭のことや金銭面、コロナ禍など、自分ではどうしようもできないことが原因で今まであらゆる困難があったにも関わらず、あくまで今自分のできることを一歩一歩やっていこうと切り替えて行動されてきたことに、大樹さんの強さを感じました。
親御さんとの関係も断絶し、地元を遠く離れて一人暮らしをする大樹さんが、忙しい勉学の合間に大学院進学のための費用を貯めることは至難の業です。「将来は人の生活を豊かにするものを開発したい」と考える大樹さんの夢の実現のために、どうかお力添えをいただければと思います。
(簡易版) (詳細版)
支援者様への報告 毎月みらいこども財団よりメールで近況報告を送ります。 数ヶ月に1回Zoom報告会を開催します(本人出席)
小さい頃から施設で生活している本児に対し、職員である私が関わることができたのは退園するまでの約1年半ほどでした。本児が高校3年生であった頃に私が中途採用で入社。その年に本児が1度目の大学受験に失敗しました。それでもすぐに立ち直り前向きに次の進路に向け努力を始める姿は大人から見ても驚かされるほどでした。昨年は浪人生活を送る中、本児は勉強を私はそれ以外のサポートさせてもらい二人三脚で過ごしてきました。
小さい頃から本児を知っている職員は口をそろえて、「真面目な子」「勉強のできる賢い子」と言います。その評価通り本児は1年間の浪人生活で、一切怠けることなく真っすぐ頑張り乗り越え、志望していた国公立大学に進学してくれました。
本児はこの先も大学院に進学し研究職に就きたいとさらなる目標を掲げています。そんな立派な目標を持ち、まっすぐに努力できる本児をこれからも応援していいきたいと思っています。ですが、施設職員だけでできることも限界はあるため、どうかご支援よろしくお願いいたします。
小学生で入所した大樹君。本人はとても大人しい印象であり、同年齢の子に比べ成績もよく授業や学校態度もよい評価でした。高校は県内トップの高校に進学が決まり、職員としても学園からトップ高校に進学した子は大樹君だけだったので、嬉しく感じました。
毎日勉強に追われつつも充実した生活を送っていたと思います。
大学進学も目指し朝から予備校に通う日々が続いていました。努力の甲斐あって、国公立の大学に合格。
4月から心機一転し、新たな場所で生活しています。友人にも恵まれ学校生活を楽しんでいると聞きました。
将来のために頑張っております。彼のためにも皆さまの支援、どうぞよろしくお願いいたします。
みらいこども財団では「貧困や虐待についての現状」「児童養護施設の現状と課題」「みらいこども財団の活動内容」について詳しくお伝えするオンラインセミナーを定期的に開催しております。まずはお気軽にご参加ください。
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児童養護施設の子どもたちを支援するには長期間にわたっての支援が必要不可欠です。 現在、児童養護施設に入所する子どもは低年齢化、さらに長期化しております。 1歳から乳児院に入り、18歳で卒業するまで児童養護施設で暮らす子どもが増えています。 そのような子どもたちを長期間支援するために、サポーター会員として継続的寄付をお願いいたします。
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