〇18歳(インタビュー時) 男性 (東京都出身) 〇4人兄弟の長男 〇中二の頃から高校卒業まで児童養護施設で暮らしていた 〇23年春から短期大に入学し観光業について学ぶ
長所:人と話をするのが好きで、積極的にコミュニケーションをとれることです。元気なところも自分の良いところだと思いますが、たまにうるさいと叱られることもあります。普段は友達からは一緒にいると楽しいと言わます。高校時代のニックネームは「歩くスピーカー」でした(笑) 短所:時間にルーズでマイペースなところと、ストレスをためてしまうところが短所だと思います。そんな時は友達に話をして発散しています。 趣味:体を動かすことが大好きで中高ではサッカー部に入っていました。走ることも好きで友達からは体力があると言われます。音楽はVaundyやOfficial髭男dismなど、流行りに遅れないように聞いています。漫画やアニメを見ることも好きです。
4人兄弟の長男として生まれました。僕と長女が生まれてすぐに父が亡くなりました。新しい父と再婚してから弟と妹が産まれました。幼稚園の時に新しい父から僕や妹への虐待が原因で離婚をしてからは、母一人で僕たちを育ててくれていました。 小学生4年生くらいまではクラスでもとてもやんちゃな子どもでした。友達と二人でコントをクラスのみんなに見せて遊んでいました。今思うと恥ずかしいのですが、自分では面白い人だと思っていました。 小さな小学校で生徒数が少なくて、アットホームな雰囲気でとっても楽しかったのですが、母が体調をこわして入院を繰り返すようになってから、一時保護所と自宅との行ったり来たりを繰り返した結果、小5の時に転校をすることになりました。 学校が大好きだったので何故転校しなければならないのか理解できなくてとても悲しかったです。それからは新しい学校になじめなくて、あまり行けなくなってしまいました。 その間も母は入院をしていることも多くて、家では妹が料理をして、僕が弟たちの面倒をみていました。
普通なら中学校に進学するのですが、その時は児童相談所で過ごしていたので中学校へいくことができませんでした。中二の時に児童養護施設に入ることになってから中学校に通うことになりましが、当然勉強やスポーツにはついていくことができなくて、中学校時代はあまり良い思い出はありません。 児童養護施設に入る前は家に帰れるとばかり思っていたのですが、施設に入ることが決まったときはとても不安だったのを覚えています。でも一緒にいる兄弟が支えになったと思います。一人だけではやっていけなかったもしれません。最初は同じ部屋の同年代の子どもたちがからかってきたりしましたが、いろいろと関わってくれたのもあって1年間ほどもまれて逞しくなったと思います。そのおかげで少しずつ昔の自分にもどれたような気がします。 勉強は相変わらず苦手でしたが、施設では公文を勉強している子どもが多かったので、それを見ていて自分も頑張ってみようと思って、実際に公文をがんばることで勉強の遅れを取り戻すこともできました。
高校に入ってからはすぐにコロナになりました。最初の顔合わせはZoomで、最初から静かなクラスで誰もしゃべりませんでした。でも次第にクラスでは友達もできて仲良くなれたと思います。 部活はサッカー部に入りましたが、コロナで大会が全くなくて何を頑張れば良いかわからなくて、友達が一人また一人サッカー部を辞めていきました。でも他校と合同チームを作って大会に出ることができて、奇跡的に1回戦を勝つこともできて、やり切ったこともあり、友達とのつながりを作ることもできた貴重な経験をしました。 学校は資格取得に力を入れている高校で、パソコンやデータベース英検などの資格にチャレンジすることができた結果7個くらいの1級の資格を取得しました。 高校三年の時には上位成績者の優秀者に選ばれてとてもうれしかったです。
高校1年生のときからクラスにはたくさんの大学のパンフレットがおいてあったので、いつのまにか自分がやりたい仕事は何なのかと考える機会がありました。 それから、自分は人とコミュニケーションをとることが好きなので、人と関わっている仕事をイメージするようになりました。 資格を活かした商業系の学校に進学することも考えましたが、高校3年生の時に担任の先生と進路について話をしたときに、僕の性格を考えてくれたのか人と関わることの多い、「観光」という業界を勧められました。それから人と関わるということと観光業というのが結びついていろいろと調べるうちに、いくつか学校を探して、オープンキャンパスにも参加して最終的に自分に合いそうな学校を選びました。 学費は児童養護施設の職員さんがついて指導してくださいましたし、面接の練習もかなり頑張りました。合格発表までは心配でしょうがなかったですが、なんとか合格できました。周りのみんなが自分より喜んでくれたのでそれがとてもうれしかったです。
施設は地域の人からも認知されていたので暮らしにくさは全くありませんでした。 施設内ではゲーム、テレビなどは禁止や制限をされていたので、自然と外で体を使って遊ぶことの楽しさを知ることで僕にとって良かったと思います。 外泊できない理由を友達に説明することもできなくて、辛いと思うこともありましけど、自分なりには友達ともうまく付き合えていたと思います。
学校の友達との話題についていけなくて、友達を作らないほうが楽だと考えたこともありましたが、仲の良い友達には自分の境遇を正直に話すようにしました。 我慢することも、なぜ母と一緒に暮らすことができないんだろうと思うこともありましたが、施設からはそれを補って余りあるくらいの恩をいただきました。 施設の子どもや、職員さんなど沢山の人と暮らして、関われたおかげで自分の世界は確実に広がったと思います。 施設と家を比べて、自分にとってはどっちが良かったんだろうと考えることもありますが、今は気にしないようにしています。 でも確実に言えることは家で暮らしていたら進学できていなかったと思います。
時々、施設を卒園した先輩が何十個もアイスクリームをお土産に持ってきてくれることがあります。いつか僕もそんな風にお土産をもって施設に遊びにいって恩返しをしたいです。
僕の父は小さいときに亡くなってしまい、次に結婚した父と母の間に妹と弟ができ、僕が幼稚園の時に新しい父から僕と長女が殴られたり蹴られたり、虐待を受けたのが原因で母と離婚をしたそうです。覚えていることは少ないのですが、新しい父がなぜ僕と長女だけプレゼントをくれないのかを不思議に思っていました。 父と離婚してから母が一人で兄弟を育ててくれたのですが、母は病気がちで、今の施設以前にも児童養護施設に入っていたり、一時保護所などで暮らしていた時期も長くて家族だけで暮らしていたのはとても短かい期間でした。 中二で今の施設に入ったときは、母がとても恋しくて面会のたびに泣いていましたが高校一年くらいから施設での生活にも慣れていったのか泣かなくなって、良い意味で親離れできました。 施設を卒園してから病気がちの母のことを僕が支えなきゃと考えるようになり、これからどうしようかと進路を迷ったのですが「まずは自分自身のことを考えなさい。自分がしっかりと生活できないのにお母さんのことを支えることはできない」と職員さんにも話をしていただいてから、まずはしっかりと勉強して社会人として生活できるようにしてから母を支えたいと思うようになりました。 父に対して、最初は親の責任を放棄して逃げたことに対して恨んでいましたが今はそんな感情もありません。今更会いたいと言われて、妹が困る顔も見たくないです。
僕が一番大切なのは弟と妹です。周りからも「兄弟は愛情が深いね」と言われていて、自分自身もブラザーコンプレックスだと思っています。施設を卒業してなによりつらいのは、兄弟に会いたいときに会えないことです。
後輩には出会いを大事にしてほしいと思います。僕がここまで生きてこれたのは周りの人のおかげです。一人で生きていける人はいないから、いつ途切れるかわからないかもしれないけど縁を大事にしてほしいです。 施設では学校や家族のことで悩んでいても、何も変わらずに知らない風に接してくれたおかげで自分はくだらないことで悩んでいると思えたことも沢山ありました。僕にとって施設には楽しい思い出しかなかったから、みんなも思い出をたくさん作ってほしいです。
今は自立援助ホームというところで暮らすことが決まっていますが、一人暮らしができるようにしっかりしたいと思います。 学校を卒業してからは観光業界でいろいろな人と関わりながら働いていると思います。 30歳くらいまでには結婚をして楽しくて幸せな家族を持っていたいです。
初対面にも関わらず、質問の一つひとつにしっかりと考えて答えてくれ、自らもいろいろな話をしてくれたのが印象的でした。 施設職員さんからは「高校の3年間はほぼ欠席もなく、学校の先生からの信頼も厚く、行事などにも積極的に取り組んでまとめ役として力を発揮していました」とお聞きしていた通りの青年です。 まだまだ未熟なところもあると思いますが、人と関わることが大好きで、感謝の気持ちを忘れない渉さんの応援をお願いします。
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中学生という年齢で園にやって来た渉君、自身も不安や緊張でいっぱいなところ、弟や妹たちの事を気に掛けて一生懸命に声を掛けたり、早く他の子どもたちと馴染める様に努力していた姿が今でも思い出されます。 周りを盛り上げるのが上手で、園でも学校でもムードメーカーで、何事にも楽しんで取り組もうという前向きな姿勢には私達職員が助けられる場面もありました。 退園して改めて多くの人に支えられていた自分に気付くことができた渉君、これからも感謝の気持ちを忘れずに努力していくことと思います。 そんな彼をどうか皆様の温かな心で応援していただきたくお願いいたします。
5年前に入所してきた時はとても緊張していて、不安そうで、静かな子に見えました。 でも、生活に慣れてくると、よく喋り、よく笑い、体を動かすことが大好きな、とても明るい子でした。 特に高校の3年間は、学校生活も施設での生活も、とても充実していて楽しい3年間だったと思います。 今、進学して自立援助ホームでの生活を始めました。 明るさを失わず、勇気を持って、前進してほしいと願っています。 ずっと応援していくからね。 皆様も、応援よろしくお願いいたします。
お喋りが好きで止めないとずっと続けてしまう渉くん。しかし何かしらの不安があり、話していないと落ち着かないような裏側もあります。そんな渉くんも現在短大で頑張って取り組んでいるかと思います。加えて掃除などの生活も自分で回さなければいけません。自分の課題に向き合いながら、時に相談しながら将来観光業の仕事に就けるよう応援しています。 皆様からの温かい支援を是非ともよろしくお願いします。
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児童養護施設の子どもたちを支援するには長期間にわたっての支援が必要不可欠です。 現在、児童養護施設に入所する子どもは低年齢化、さらに長期化しております。 1歳から乳児院に入り、18歳で卒業するまで児童養護施設で暮らす子どもが増えています。 そのような子どもたちを長期間支援するために、サポーター会員として継続的寄付をお願いいたします。
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