◇18歳 女性
◆3人姉弟の長女、弟と妹がいる
◇小学4年生から高校卒業まで児童養護施設で暮らす
◆将来は広告会社でCMプランナーまたは動画クリエイターとして就職することを目指す、4年制芸術大学1年生
本当のところは、めっちゃお喋りだと思います。でも他の人からは陰キャでコミュニケーション下手だと思われていると思います。1人が好きなので、一匹狼みたいに思われているかもしれないです。
バイトとか、ご近所付き合いとか、ある程度の距離感がある関係性だと話せるんですけど、友達みたいな距離感は逆に苦手です。人間嫌いではないんですが、「楽しませなければ」「今どう思ってんだろう」って考えてしまって、一緒にいると楽しめなくなってしまうんです。美大に進学するくらいなので、自己中心的というか、自我を出したいという思いは強いと思うんですが、同時にいつも周りをとてもよく見ていると思います。
美大の映像学科に進学したくせに、映画を見るのは大嫌いです。観ていると、「この表現はおかしくない?」「なんでこん場面とこの場面をくっつけたの?」とか色々考えてしまいます。お笑い、特に漫才を見るのが好きです。芸人さんの人間性を感じるし、ネタは面白いし、矛盾がないところがいいです。私は考察癖があるんですが、お笑いは一番見てて楽で、何も考えなくても笑わせてくれるところが好きです。令和ロマンさんが今一番好きで、空気階段さん、かまいたちさんも好きです。
生まれも育ちも同じ県内です。小学校に上がる前はお父さんは働いてて、お母さんは専業主婦でした。双子の弟と、妹がいます。
小さい頃の私は、一言で言うとバカでした(笑)。妄想するのが大好きで、脳内お花畑みたいな。小さい頃から人見知りで、弟妹がいたから家でばっかり遊んでいました。1人でずっと本を読んだり、本を自分で書いたり、ごっこ遊びばっかりしてました。
両親は私が年長の時からよく喧嘩をするようになり、両親の喧嘩も、弟妹の喧嘩も多い家だったので、自分の中ではそれが普通のことだと思っていました。喧嘩の度にいつも「どっち側につこう」、「どう言おう」と、周りのことを考えていました。
小学校時代は、人より大人びていたと思います。いつもいっぱい、色々なことを考えていました。
例えば、クラスでドッチボールをすると味方チーム敵チームに分かれますが、他の子みたいにゲームに熱中することはなくて、「こっちはさっき勝ったから次向こうを勝たせよう」「泣いている子はいないかな」とか常に周りのことを気にして、全体のバランスを見てました。
そんな風に他人のことばっかり見ていたからこそ、あまり口数は多い方ではなかったと思います。
お節介だから、1人でいる子が心配で、喧嘩を止めに行ったりしていて、先生からもよく「あの子ひとりぼっちだから一緒にいてあげて」とか言われてました。
小学生の時が一番家が荒れてて大変でした。
弟は体が弱くていじめられてて、妹も不登校になったりして。弟をいじめてくるガキ大将みたいな男の子がいたんですが、私は一人でその子に突っかかっていって、逆にいじめられてしまい、学校での対人関係も荒れていました。
両親の不仲もピークで、父が母に手をあげることもあり、私はそれを必死で身体を張って止めていました。それを見て、妹も私の真似をして喧嘩を止めに入るから、妹のことも庇って。
家でも辛くて、学校でも辛くて、でも、意地っ張りで誰かに弱みを見せるのが大っ嫌いだったから、誰にも言えませんでした。わざと平気な顔をしていました。
それでも、近所の人がおかしいということに気づいてくれて、ある日警察がやってきました。そして小4の時、児童養護施設に入りました。
施設に入ってからも、対人関係はずっと荒れていて…
一人同じ施設にいた同級生で、本当にひどいいじめをしてくる女の子がいて、人生でも一番くらいキツかったです。荷物を持たされたり、宿題をさせられたり…でもその子は隠すのがうまくて、他の人はみんな良い子だと思っていて、誰も私がいじめられていることに気づかなかった。むしろ私が悪者にされるくらいで。クラスも一緒、習いごととも一緒、そして施設でも一緒で四六時中離れられなくて、本当に辛かったです。
小学校時代からいじめてくる施設の同級生と、同じ地元の中学に進学し、しかも中1の時同じ部屋になってしまいました。
掃除とか色々なことを押し付けられて、辛かったですが、私が逃げると、他の子がやられる、私だったらいいけど、もし私が好きな子がターゲットになったら嫌だと思い、耐えていました。その子のせいで、修学旅行も最悪でした。
ただ、中学では私だけバレー部に入部しました。
朝練もあり、その子とはクラスも離れたため、学校では離れられるようになりました。
部活は楽しかったです。今までいじめられすぎて体力がついていたのもあり、走るのは大好きでした。
でもめちゃくちゃ強い部活だと知らずに入部して、ものすごくハードでした。練習でアタックを入れられて腕が真っ青になったりとか、坂道ダッシュ20本とか走ったり…「やめようかな」と思ったこともありましたが、でもやめたら例の同級生にいじめられるので、それだったら坂道20本走った方が楽だと思い、続けました。
勝てたら楽しいし、部活には救われてきました。監督も優しかったし、部活動を通して人としても成長できました。それが一番楽しい思い出です。
小〜中といじめてきた例の同級生は中学の途中で施設を退所し、学校は引き続き一緒でしたが、高校は別のところに行ったので「よっしゃ!」って感じでした。
「ここから人生楽勝やん」と思っていましたが、高校は高校で治安が悪く、怖い先輩もいました。
施設の方でも年下がいっぱいで、小学生同士のトラブルも多く、その仲裁に入ったりして大変でした。先生達に迷惑をかけたくないという気持ちが強かったです。
高校時代はバトミントン部に入部しました。体力があったため、2年生からエースを任されていました。
ただ、高校時代も困っている子を放っておけなくて、不登校の子のお世話をしたり、足を骨折してしまった子の荷物持ちをしたりしていて…そういうことをした後に遅れて部活に行くので、「エースなのに遅れてくるなんて」と先輩や顧問の先生からも物凄く怒られました。でも自分がやりたくてやっていることなので、私が悪いし、先輩から嫌がらせを受けても「私はこれくらいじゃへこたれないぞ」と思って続けていました。
実は芸大に行こうと決めたのは、高3の4月になってからです。それまでは、地元の大学の文学部に行こうかなと考えていました。
きっかけは特にないのですが、今までの人生で、散々他の人のことを考えて、他の人のために尽くしてきて、ずっと我慢してきたんだから、大学くらいは一発逆転、自分のやりたいことやってみようと思ったんです。
小さい頃から創作をすることが大好きで、「本を書きたい、作りたい」と思ってきました。小〜高校とずっと、人に見せはしないですが、色々と自作の本を書いてきました。施設のクリスマス会等の行事の脚本も全部私が担当していて、周りからも好評でした。そんなこともあって、自分で文章を書きたい、ものを作りたいと思うようになりました。
芸大進学希望と聞いて、周りのみんなはびっくりしていました。「お金どこから出すんや」って。最初は誰も応援してくれませんでした。
6月までは部活もしていて、8〜9月で受験し、10月に合格してからは、必死でバイトしました。死に物狂いで働いて、でも自分で決めたこと、やりたいことのためだったので、大変でしたとか言う気はないです。
大学は、校風と、産学連携プログラムに力を入れている点に惹かれて決めました。
産学連携プログラムでは、企業と連携して技術習得もでき、実績も作れるのが魅力だなと感じ、そういう取り組みに力を入れているところが他の大学にはない魅力だと感じています。
芸大って、絵を描いて終わりとか映画作って終わり、となったら怖いな、と考えていて。就活の時に、他の偏差値の高い一般の大学を出ている学生に比べてどうアドバンテージを取ろう?と考えた時に、この企業との創作実績が作れる点は非常に有利に働くのではないかと思ったんです。就活へのサポートが手厚く、卒業生の進路について開示している情報もリアルで、嘘がない点も魅力だと感じました。
映画制作をする学部で、第一専攻は脚本です。2年生になると第二専攻が始まるので、カメラ編集などを学びます。
入学したばかりなので、まだあまりよくわかってないところもあるんですが(笑)、教養科目に加えて、さまざまな制作に取り組むと、全てではないですが単位に反映される仕組みになっています。夏休み中も撮影などのスケジュールが入っていて、夏休み等の長期休暇も休みという感じではなく、忙しくなりそうです。
授業の合間にアルバイトもしようと考えており、先日早速近所の飲食店に面接を受けに行きました。
方言混じりの子もいて、大学ってすごいなと思います。
結構一人で行動している子も多く、私は一人が好きなので、皆がグループで固まっている感じじゃなくてよかったなと思います。作品を作るために、協力し合うために、広く浅く付き合う感じなのが、いいなと思います。
職員さんはみんな優しいし、施設は大好きです。
ただ、入所している子どもとは色々と人間関係のトラブルがありました。
性格上、困っている子を放っておけないので、勉強を教えてあげたり、宿題を見てあげたり、喧嘩しないように考えたりしているうちに、ちょっとボスっぽい立ち位置になってしまって、それをみた上級生が「何威張ってんの?」と反感を持ってしまって目をつけられたりとか。
特に女子は、(いじめ等を)隠すのが上手い子が多かったです。
小学校から中学校にかけては、先程もお話ししたように一人、本当にひどいいじめをしてくる同級生がいて、人生でも一番くらいキツかったです。
我慢の限界が来て爆発した時に、今もお世話になっている施設の先生が気づいてくれました。
家族の仲はあっさりはしているけれどめっちゃ良いと思っています。今でも連絡を取り合っています。おばあちゃんもいるのですが、長いこと会っておらず、今元気なのかもわかりません。
お父さんとお母さんはよく喧嘩していたり、色々あったのですが、自分の中ではそれが普通だと思っています。
施設にいたときは、部活もやってるし、施設の方が楽しいし、家に帰ったら喧嘩しているので、会いたくない気持ちが強かったです。親に対して、自分は子どもである、というより、どちらかというと対等であるという意識を持っています。長女ということもあって、(両親のことは)親というか、守る側だと感じています。弟と妹は両親と連絡を取りたがらないので、私がみんなの橋渡しをしている感じです。
他の家庭よりいい背景ではないけど、その分関わっている方だとは思います。今はお父さんより、お母さんの方が、どちらかというと心配です。
在学中に産学連携プロジェクトに参加して、社会に関わりながら創作に関わった実績を作り、広告代理店にCMプランナーか動画クリエイターとして就職できたらいいなと考えています。
2〜3年生の時に映画を制作して、もし評価をしていただけたら、脚本家で勝負したいと思う気持ちもありますが、基本的には就職をしたいと考えています。
在学中にカメラ編集を学んで、撮影が得意だと思ったらカメラマンもいいと思いますし、映像制作会社とか、雑誌の編集者にも憧れます。テレビっ子だのでテレビ関係のも編集等もいいなと思っています。
児童養護施設のことを全く知らない人に伝えたいのは、自分が施設出身だと知られた時は心配されるけれど、自分はそれが普通だと思っているし、その中で楽しさや生きがい見つけているということです。
施設の職員さんには感謝しているし、ここで暮らしてつらいだろうと思われるけど、つらくないよと言いたいです。「つらいね」って周りに言われるのが一番嫌です。
そして「あなたは悪くないよ」と言われるのが一番つらいです。みんな悪気があって言っているのではなく、優しいから言ってくれているということは、頭ではわかっているけど、そう言われるのが、私は殴られるよりもつらい。自分が悪いから殴られたと思う方がまだいいです。だって自分が悪くないのに殴られるのって、めっちゃ惨めじゃないですか?
絶対におかしい考え方かもしれないけれど、施設や、支援に対して、ありがたいって思う気持ちは本当にあるけれど、でも守られていること(社会的養護下にあること)に対してコンプレックスを感じることがあります。すごくありがたいけど、でも時々、私が惨めになっちゃう。普通に迷惑をかけずに暮らしたいのに、申し訳ないな、って思います。時たま、そういうことで悩んでいることもあるということ、助けられていることで泣いちゃうこともあるよってことを伝えたいです。
小さい頃から文章を書くことを黙々と続けてこられた方ということもあり、色々なことについて深く考えているだけでなく、非常に豊かな表現力とエネルギーを持っている方だなと感じました。ご本人は自分のことを性格が暗くコミュニケーション下手と話していたのですが、全くそんなところは感じさせず、言葉を尽くして沢山お話しをしてくださいました。
頑張り屋で我慢強いところ、他人のことを思いやらずにはいられない優しさが、彼女の素晴らしいところであると思います。これからはのびのびと自分のやりたいことに打ち込み、自身が「これだ」と思う道に出会ってほしい、と願わずにはいられません。
芸術大学ということもあり、施設使用料や制作費用等にこれからさまざまな支出がかかること、それを遠く故郷から離れた土地で、一人で生活していくことは、容易なことではありません。是非とも彼女に温かいサポートをお願いいたします。
(簡易版)
(詳細版)
支援者様への報告 毎月みらいこども財団よりメールで近況報告を送ります 数ヶ月に1回Zoom報告会を開催します(本人出席)
小学生で出会った少し頑固な女の子は今、自分の夢に向かって地元を離れ誰も知っている人がいない場所で大学生活をスタートしました。去年、進路について二人で長い時間話しました。
いつの間にこんなに自分の事を、人の事を思えるようになっていたのか。まだまだ子どもだと思っていましたが色んな課題を乗り越えてしっかりと未来を見つめて前に進もうとしている彼女を遠く離れた場所から応援したい。今、私は誰よりも強く思っています…でも、頑張りすぎる所があり、しんどさを自覚しているのに自身でブレーキをかける事が苦手な性格が一番の心配。
どうか、多くの思いを彼女に届けて頂けませんか。一人でも多くの方との繋がりで、声で支えて頂きたい…切にそう願います。
かおりちゃんとは一年間、グループの担当として園での生活や学校、推しについて、そして進路についていっぱい話してくれました。園に来てまだ二年目の私にとって、かおりちゃんは超ベテランの頼れる存在。他の子ども達の件で悩んだり困っていたりすると気を使って声をかけてくれたりしました。進路の話もしてくれました。私は自立支援担当のベテラン職員の人から指示をもらいながら手続きを進める中で合格を祈っていました。
私は一人暮らしをしたことがないので遠くで一人暮らしをするかおりちゃんはスゴイと思います。でも、ふと見せるさみしそうな表情や、気を使い過ぎて疲れている顔を見る事もありました。私は遠くで心配しか出来ませんが、どうかいっぱいの人の善意でかおりちゃんを助けてあげて欲しいと思います。宜しくお願い致します。
みらいこども財団では「貧困や虐待についての現状」「児童養護施設の現状と課題」「みらいこども財団の活動内容」について詳しくお伝えするオンラインセミナーを定期的に開催しております。まずはお気軽にご参加ください。
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児童養護施設の子どもたちを支援するには長期間にわたっての支援が必要不可欠です。 現在、児童養護施設に入所する子どもは低年齢化、さらに長期化しております。 1歳から乳児院に入り、18歳で卒業するまで児童養護施設で暮らす子どもが増えています。 そのような子どもたちを長期間支援するために、サポーター会員として継続的寄付をお願いいたします。
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遺言に基づいて特定の個人や団体に資産を分け与えることを「遺贈」といいます。 遺言書の内容により、受取人やその内容を指定することができます。 一部またはすべての財産の受取人として一般財団法人みらいこども財団をご指定いただくことで、日本で貧困や虐待で苦しんでいる子どもたちの支援や奨学金としてご支援いただけます。
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