目標

金額 支援者一人あたり 12万円/年 × 4年間  募集人数7人

桜田弦輝さんのプロフィール ※本人が特定されないよう個人情報に多少の修正を加えています。

〇18歳(インタビュー時) 男性 (関西)
〇姉・弟・妹がいる
〇高校1年生から児童養護施設に入所、高校卒業まで暮らしていた。
〇2025年4月から4年制大学に入学し、建築を学ぶ

 

大学進学について

高校1年生の時は、父の再婚相手から虐待を受けていて、バイトや家のことをしないといけなくて、勉強に全く集中できない環境でした。父とも相談をして児相に連絡をして、話し合いを重ねて施設に入りました。そこからは勉強の時間も取ることができるようになって良かったです。
小学校4年生の時から建築士になりたいという夢がずっとあって、高校3年生になってから具体的に建築士になるためにどこの大学に行けばいいかということを具体的に考えるようになりました。そこからは毎日勉強して、施設では塾も行かせてもらって、ほんとに助かりましたし、色々支援してもらって今があるかなって思います。
大学選びの時は、母と姉と妹がいる関東の大学にしようと決めました。今まで一緒に暮らせなかった分、大学生からはちょっとでも会える時間が増やせればいいなと思っています。大学は3つ候補があったんですが、建築学部があってより専門的なことを学べるところを選びました。
建築士になりたいと思ったのは、小学4年生の時にあった理想の家を描こうという授業がきっかけです。初めて家の間取りを書いたのですが、それがすごく楽しくて、建築士になろうと思い、夢はその時から変わっていません。(小学6年生の時にピザ職人になりたいと思ったこともありますが…笑)
在学中には留学もしてみたいと考えています。自分のしたい建築方式か日本にはなくて、アメリカの企業が開発してるシステムなので、それを学びたくて、アメリカに1回でもいいから行ってみたいです。おそらく大学にそのようなカリキュラムがあるわけではないと思うので、もう自分で行くしかないです!

児童養護施設での暮らし

施設に入る前は学校とアルバイトと家事に追われる生活をしていたので、施設に入って、週1回学校が終わってからなにもない日があるだけで、ちょっと幸せになれました。先生たちも子どもたちもみんな優しいし、毎日が楽しかったです。
学校の催し事のあとの打ち上げとか、施設だから行けないんだろうなとあきらめていたのですが、相談してみたら許可をもらえて、話した方がいいこともあるんだなと思った経験もあります。進路のこともずっと支援してくれたし、応援もしてくれました。自分の思いを閉ざしてしまってた部分も、ここに来てだんだん話せるようにもなってきたし、色々2年半ぐらいで短かったんですけど、心身ともに成長できたと感じます。昨日(インタビューの前日)も、いつもは23時就寝なのですが、別れも近いしということで2時ぐらいまで職員さんと語ったりしました。

 

両親との関係

父には小学生の時とかはやりたいと言ったことは結構色々させてもらったので、感謝はしています。再婚してからちょっとなんか頼りにならないこととかもありましたが、(実の母と)離婚してからずっと一応育ててくれたので、感謝が強いかなと思います。どこの大学に行くというのも全部話して、理解はしてくれました。
母は大学にかかるお金とかも一部支援すると言ってくれています。妹もいてお金もかかってしまうのに費用を出してくれて、やっぱり助かるので本当に感謝ですね。

 

将来の目標

大きいビルやスタジアムとかを建てるというよりは、住まい、人が住むところの家を建築したくて。衣食住の住にあたる大事なところなので、そこを学んでみんなに住まいを提供したいなという考えがあります。道を歩いていても家の外観とか、不動産屋さんに貼られている間取りとかを無意識に見ていて、家を建築したいという思いが強いんだと思います。
(どんな人になりたい?)
いろんな人に寄り添えるような人に、器の大きい人になりたいなと思います。いろんな性格の人がいるだろうし、自分がこういう経験をしているからわかることもあると思うんです。自分みたいなことを経験する人はそんなにいてほしくないから、解決できるような大人になりたいですね。

 

後輩へのメッセージ

1番は自分を信じることだと思います。自分を信用しないと他人を信用することは絶対にできないのでまずは自分を信用すること。そして味方してくれる人が0人なんてことはありえないから、いろんな人に相談して解決できることは解決していってほしいですね。

 

出身施設職員様からのメッセージ

職員Aさん

厳しい環境のなか、建築の道を選び大学進学を目指して部活動もアルバイトもくじけず、頑張り抜いた高校生活があったからこそ、今があると思います。あまり自分を出さずに、我慢してしまう性格だけに大学では自分がしたいこと、興味があることにもっともっと挑戦してほしいと思います。目標を高く持って自分の夢を実現させる力があなたには備わっています。気負わず自分のペースで進んでください。オンライン里親さんも応援してくれると思うので遠慮せずに頼ってほしいなと思います。

 

職員Bさん

学校でも施設でも誰にでも優しく接することができる弦輝君は大学生になってもみんなの人気者だと思います。キャンパスライフは楽しんでいますか?まだまだ始まったばかりで慣れないこともあるかもしれませんが、弦輝君の周りには頼りになる人たちがたくさんいます。無理せずしっかりと自分の目標に向かって頑張ってほしいと思います。今しかできない素敵な時間を大切に過ごしてくださいね。

***弦輝さんのことをもう少し詳しく***

自分自身のこと

「几帳面」、その一言で表せるぐらい、几帳面という言葉が自分に合っています。
部屋ではものの置く位置を固定してたりとか。施設で他の子たちの中には見てられないくらい部屋が荒れている子もいて、もし同じ部屋だったら寝れないなと…(笑)

 

自分のいいところは人に影響を与えられるところかなと思います。大学受験をするために僕が勉強している姿を見て、同じ部屋の子も一緒に勉強をしたり、自分の好きなアイドルグループを下の子たちもみんな推し始めて、施設の中でブームを作りました。

 

苦手なことは自分の気持ちを相手に言うことです。悩んでも自分の中だけで解決してしまって、傷つくまではいかないですけど、ちょっと1人でしんどくなるみたいなことはよくあるので、そこが弱みですね。でも限界を迎えたことはないです。推し活をして心を紛らわせたり、自分なりに発散方法とかもわかっていて、自己コントロールはできているのかなと思います。

 

中学3年生ぐらいの時から、ずっとINIというアイドルを推していて、今年の2月にライブに初めて行って、感動し過ぎて開始5秒で大号泣しました。これからは今まで行けなかった分を、大学生になって、いっぱい楽しみたいなと思っています。

 

弦輝さんの生い立ちから中学生まで

東京都で生まれて、両親と姉と弟がいる5人家族でした。両親が3歳の時に離婚して、男は男、女は女で別れて、父と弟と3人で関西に来ました。聞いたところによると、自分から「お父さんのところについていきたい」と言ったらしいです。離婚の大きな原因が母にあったので、親権は母親に行くことが多いと思うのですが、父について行くことになりました。引っ越してからは母と連絡を取るということは全くなかったです。

 

6歳くらいからお父さんの知り合いがしている教会に暮らし始めて、中学1年生までそこにいました。あんまり保育園や幼稚園の記憶はないのですが、小学校もその教会からずっと通っていて、歳の近い子どもたちもいたので、楽しく暮らしていた記憶があります。
小学校は人数が少なかったんです。僕のクラスが23人くらい、全学年を合わせても170人くらいしかいなくて、その中でもいろんな学年の教室に行って遊んだりしていたので、全員と知り合いというか、人脈は広かったですね。いろんな人と遊んだ方が楽しいから、小さい子とも一緒に遊んだり、ずっとしていました。外でボールを使って遊んだり、教室で定規バトとかをして、外でも中でも楽しく遊んでいました。人と関わるのが好きというか、いろんな人と絡みたい気持ちがあったと思います。

 

勉強は得意でした。好きか嫌いかで言ったら、運動するよりは好きかなという感じ。中学は受験をして私立に行きましたが、受験勉強は特に大変じゃなかったです。勉強のためにその中学を志望したわけではなく、サッカー部の監督をしていた人が小学校の時に見てもらっていた人で、「もう一度この人の元でサッカーがしたいな」という思いで決めました。

 

中学では週4部活で、ほぼ部活しかしていない記憶です(笑)人数が少なく、他の学校と合同じゃないと試合に出られなくて、練習試合とかは多少ありましたが、大きな大会とかもなく、ほぼ練習でした。サッカーをすることが好きだったので、やれればいいかなという気持ちでした。

 

勉強も頑張って、3年間オール5を取ることができました。数学は一番得意で英語も得意、国語が苦手なので理系ですね。

中高一貫校だったのですが、高校も私立に行くことは金銭的に厳しかったので、勉強をして公立の進学校に入学しました。高校受験の時はちょっとなめていて、受験勉強のために塾に通い始めたのも1ヶ月前と余裕をぶっこいていました。その段階で模試ではD判定でしたが、「自分ならいける」という思いで全く焦らずに勉強をしていました。結構ボロボロでしたが、最終的に社会は40点アップするなど、詰め込んでやったという感じです。中学校の先生は普段の授業態度とかをずっと見てくれていたから、「今まで頑張ってきたから絶対いけるよ」と言ってくれていました。

 

高校時代の生活

中学生まではずっとサッカーをやっていて、高校生になっていたので別のものもやってみたいなと思い、バドミントン部に入りました。ただ4月の頭からバイトをしなければならず、部活は月火木金と土日のどちらかで週5回あったのですが、先生に事情を話してアルバイトをしないといけないから休んだりもしていました。

アルバイトは入学式前に面接をしてすぐに働き始めました。最初はファミレスで18~21時で働いて、途中から土日は朝6~10時までファミレス、12~21時まで別のアルバイトをかけもちするというようなこともしていました。あの時が一番しんどかったです。

1週間まるまる予定が詰まっていて、月曜日は学校から帰ってきてバイト、火曜日は部活、水曜日は部活がオフだからバイト、木曜日〜土曜日もバイト、日曜日も部活後にバイトもしくは朝6時から10時でバイトをして部活へ行くとか、そんなことばかりでした。半年くらいそのような生活が続きましたが、めちゃくちゃ頑張ったと自分でも思います。

朝にアルバイトが入っている時は5時半に起きて、夜も遅くなったりとかでほとんど寝ていませんでした。でも学校は皆勤賞でしたし、授業中に寝ることもなかったです。眠いけど頑張って耐えてという感じでした。家が嫌いだったから、なるべく家にいない時間を作りたくて、絶対に学校には行きたかったんです。体調を崩したとしても土日で治すという感じでした。

 

施設入所の経緯

中学2〜3年の時にお父さんが再婚しました。高校生になると義理の母から「バイトしろ」とずっと言われて。暴力を受けることもありました。バイト代も半年で30万円くらい取られました。バイトや部活から帰ってきて、大量に溜まっている洗い物を片付けたりとか、洗濯も全部やってという生活で。もうきついなと耐えられなくなって、父親とも相談して自分で児童相談所に連絡して、そこから話が進んで施設に入ることになったという経緯です。父はそういう状況をわかっているけれど、義理の母には何も言えず、完全に尻に敷かれている状態だったので、あまり頼りにはしていませんでした。夏に相談をして2ヶ月くらいかけて話をして、10月に施設に入りました。

 

施設に入る前は、環境に慣れることができるか、わからないこともたくさんあるし同級生とかと仲良くできるかなとか、少し心配していました。でも子どもたちも職員さんもみんな優しいし、毎日楽しいですね。

 

家にいた頃はバイトをやれと言われて無理やりやらされていて、稼いだお金とかも全部取られていたのですが、施設に入ってからは自分のタイミングでバイトもできるし、稼いだお金を自分のために使えるし、さらに自分の時間も結構できるようになったので、そこから勉強に力を入れられるようになりました。

 

弟は中学校に上がるタイミングで、言い方は悪いですけど島流しというか、沖縄の方に行きました。親戚とかがいるわけではなく、何かプログラムがあって「こいつとは生活できない。ちょうどいいから行け」と追い出された形です。
今(インタビュー時点)は高校1年生で、沖縄の学校に通っていて、寮でずっと過ごしています。義理の母からの嫌がらせは僕よりも弟に対しての方がひどかったので、離れられるなら行った方がいいんじゃないかと思っていました。長期休みには帰ってくるのですが、それでも全然会えなくて、去年の夏に一度会って以来会えていないです。

資金計画

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