◇23歳 男性 ◇広島県で生まれ中学1年生の時に児童養護施設に入る ◇高校を卒業するまで児童養護施設で暮らす ◇卒業後は関東の大学に進学する ◇4月から九州の大学院への進学が決まっている ◇目標:工学部で学んだ知識を活かして社会に貢献できる仕事をすること ◇趣味はギターを弾くこと、カラオケを歌うこと。好きなミュージシャンはback number
長所は何にでも好奇心が旺盛で、実行力があるところです。帰省するためにお金があまりなかった時に、友達からヒッチハイクで帰れば?とアドバイスを受け、実際にヒッチハイクで田舎に帰ったこともあります。その時になかなか車が止まってくれなくてとってもつらかったです(笑) ほかには、やると一度決めたことは何が何でも継続するところも自分の強みです。 短所は、自分の興味がないことに対しては手を抜いたり怠けてしまい、宿題などはつい期限の直前までは遊んでばかりで手を付けずに、慌てて数日でやってしまうという性格です。
家族構成は父、母、私の三人家族に生まれました。 私が物心ついたときには母と父とは離婚をしてたそうで、母と祖母の記憶だけがあり父のことは全く覚えていません。 それからは、母と私の二人暮らしでシングルマザーとして育ててくれました。 小学生に上がる前の暮らしは、決して裕福ではありませんでしたが自分自身はひもじい思いはした記憶はありません。 母はコンビニエンスストアで働きながら、私を育て暮てくれていましたがとても苦労をしたと思います。 小学生時代は学校は悪ガキで友達もたくさんいいたので楽しかった思い出が多く、一方、家庭内では母が教育熱心なこともありバスケ、サッカーなど沢山の習い事を経験させてもらっていました。
母は非常に教育熱心でしたが、理想がとても高く非常に厳しい母でもありました。 私に対してたくさんの愛情を向けてくれましたが、同時に厳しいがゆえに私にたいしての要求も次第と高くなり、身体的な虐待が多くなってきた結果、近所の人から児童相談所に通報されるようになっていました。 その時はなんで生きているんだろうと毎日考えていて、唯一学校の友達が心のよりどころでした。 中学生に入ってからは生活のリズムも崩れていてまともに学校に行けないような状況に陥りました。 その後中学の時に一時保護されて、児童養護施設に入ることになります。家に帰るか施設に残るかという選択を迫られたときに施設で生活する決断をしました。
それからは児童養護施設で暮らして学校に通う生活が始まります。クラブ活動は卓球部に入って、勉強は決してできませんでしたが楽しく生活を送ることができました。 その時、あらためて自分のこれからの人生を考える機会がありました。 このままではダメだと思い、一念発起して勉強をして大学に入ると決意をしてからは1日14時間くらい勉強に費やしました。 死に物狂いで勉強をして、目指していた高校に入学したときは喜びのあまり叫んだのを覚えています。 高校のクラスではいじられキャラで友達みんなから可愛がられていました。 クラブは軽音楽部にはいって、学園祭でコンサートを開いたりとっても楽しい思い出ばかりでその時の友達とは今でも頻繁に連絡を取り合っています。
高校時代には幸運にも狭き門である大学の奨学金を獲得することができ関東の大学に進学することができました。 1人暮らしはとても心細かったですし、高校の友達との別れはつらかったですが目標のために決断することができました。 大学時代は都会の生活に慣れるのに時間がかかりましたが、仲の良い友人もできましたし勉強に打ち込むことができ、有意義な学生生活を送ることができました。
私が大学院進学を決めた理由は三つあります。 一つは大学での勉強を通じて研究の楽しさに目覚め、研究をして新しいものを生み出したいと思ったこと。 二つ目は将来研究職につくためには大学院の修士課程の修了が必須であること。 三つ目は金銭的な理由で自分の可能性を閉ざしたくないと思ったこと。 本来であれば金銭的な理由から就職をしたほうが合理的であったと思いますが、以上の理由から大学院に進学することを決意しました。 私よりも経済的ににひっ迫しており、この制度の支援を受けるべき学生がいるのではないかという葛藤もありましたが、大学院では研究活動が多忙になり、アルバイトできる時間が限られることなどの理由からみらいこども財団のオンライン里親の活用することを希望しました。
児童養護施設に入る前は怖いところだと思い込んでいたのですが、暮らしてみると初めて安心して毎日が送ることができることにほっとしました。 アットホームな雰囲気の施設で働いている職員さんは、児童養護施設での仕事を仕事として割り切っている人は1人もおらず、子どもたち一人ひとりに真剣に向き合ってくれる方ばかりでしたので私にとっては素晴らしい環境でした。 今までほとんど進学した子供がいないという環境のなか、普通であれば就職をするべきだったと思いますが私の意見を尊重してくださった職員さんが私のために進学のために様々なサポートや努力をしてくださいました。 将来は、立派な社会貢献できる大人になって恩返ししたいと思っています。
母とは児童養護施設に入ってから今まで会うことはまったくありませんでしたが、母に対して恨みの感情はありません、むしろ感謝の気持ちが大きいです。 小学生の時から勉強する環境を作ってくれたのは母であり、厳しいところはありましたが今の自分の基礎になっていると思います。 母自身も恵まれた環境で生きていたわけではなく、10代で私を生んで育てるのは本当に苦しかったと思います。 私が進学をしていることは母にも伝わっていいるそうなので、いつか母には立派になった自分のことを報告したいと思っています。
私の具体的な夢は2つあります。 一つ目は技術者として社会貢献度の高い仕事をすることです。例えば機械の製造や電気の安定供給、さらにはロボットを用いた工場の自動化の推進など、今まで学んできた知識とこれから大学院で研究の成果を活用したいと考えています。その他実は警察官になることにも興味があります。 二つ目は、児童養護施設で暮らす子どもたちが自分の将来に対して希望を持てるような手助けをすることです。 児童養護施設で共同生活をし、たくさんの子どもたちとふれあってきました。 その中では自分の将来に対して希望を持っている子どもがとても少ないと痛感しています。 自分のやりたいことに対して全力で向き合えるような心の余裕や金銭的な余裕がないために進学というものが、そもそも選択肢に入っていないこと。 更には将来の希望を持ち、その夢をかなえた先輩が圧倒的に少ないことが要因でないかと考えています。 私はそんな後輩たちに自分自身が努力を続け、その結果夢をかなえて人生を心から楽しむ姿を見せて、良きロールモデルになることが使命であると考えます。 そしていつしか、自分が経済的自立ができた暁には、自分が次の世代の夢を応援し、支援のバトンをつないでいくことが最終的な目標です。
お話をしていての第一印象は非常に芯のしっかりした若者という印象を受けました。本来であれば就職したほうが彼にとっては楽な道だったのでしょう、しかしあえて生活も厳しくなる大学院への進学を決意したところに強い意志を感じます。 インタビューでは答えにくい質問にもすべて答えていただき、つらい経験をしたにも関わらずお母さんへの感謝の気持ちを持っていて、多くの方からの恩を返すために自分は何をしなければならないかを熟考して将来を目指しています。 真面目過ぎてしんどくならないように、里親のみなさんと見守っていけたらと思います。
学費 生活費
支援者様への報告 毎月みらいこども財団よりメールで近況報告を送ります 数ヶ月に1回Zoom報告会を開催します(本人出席)
施設に入所した最初の頃は、朝起きるのが苦手だったり、他の児童とも馴染めなかったりしました。しかし、彼の優しい性格と努力で、すぐにみんなの良きリーダー的存在へと成長していってくれました。特に勉強面での努力はすばらしく遅くまでこつこつと頑張っていました。また、一緒に自立のための食事作りをした時も、話を素直によく聞き、主体的に取り組んでいました。これからも人への感謝と素直な心を大切にひたむき誠実に歩んでほしいと思います。皆様からの温かな応援どうぞ宜しくお願い致します。
風太君は、 中学生の時から自分の将来の為に勉強に励み、 自分自身の力で選択肢を広げよう と努力していました。高校進学に当たっては、進学校と高等専門学校とで悩みましたが、自分の置かれている環境から高等専門学校を選択しました。 高等専門学校に在学中も、学部で トップクラスの成績を修め続け、学校内での活動も積極的に参加し、また将来の為に精力的 にアルバイトもこなすといった、とても充実した日々を過ごしていました。大学への編入も 数少ない枠を獲得してのもので、今回の大学院への進学も、風太君の普段の努力のたまもの だと思います。そんな風太君を一職員として誇りに思いますし、今後も応援しています。
風太君の素晴らしい所は、規制の枠に囚われず自分の可能性を拡げていけるチャレンジ精神、常に走り続け努力を継続できるバイタリティ、誰に対しても敬意や優しさを通せ信頼される人柄、無茶振りにも応じてくれる器の広さ、居室に虫が出現するとなりふり構わず助けを求めてくれる意外な可愛らしさ…。数え上げればきりがありません。 私は風太君が高校1年生から3年生の3年間、心のケアをする職員として接してきました。実は、風太君とはカウンセリングをする時間が数える程しかありませんでした。というのも、彼は常に自分の目標や熱中できる事を見つけ、それに忙しく過ごしていたからです。そんな中でも一緒に過ごす時間の中では、ずっと、落ち着いた中にも気さくな態度で接してくれました。 私が風太君にとても尊敬を感じたのは、養護施設の集団生活の中、どんな年下のはちゃめちゃな子に対しても等しく穏やかに接していたその優しさでした。彼の周りにいる児童たちは自然と穏やかになり、彼は力を使わずとも周りの尊敬を集めることができる懐の広さをその当時から発揮させていました。 また、風太君はたまたま私の出身の高校(工業高等専門学校)に通っていました。この学校はびっくりするくらい自由で誘惑も多く、しかも進学のための成績はシビアという、自己責任が強く求められる学校です。そんな学校で成績トップを走り続け、同時にバンド活動をはじめこちらが驚くような新しい挑戦をしたり、時には若さゆえのハメを外してくれたり。その姿には、見守るこちらもワクワクし、どんな大人になっていくんだろうと希望や夢を抱かせてくれていました。 そんな彼は、間違いなく、この激動の時代を軽やかに泳ぎ、私たちの想像もしないような成長を見せてくれるだろうな、そんな期待をしています! 彼は絶対にチャンスをモノにする、そんな男です。 (コロナがおさまったらぜひ施設やお寺にも顔を見せに来てね‼️ いつも応援し楽しみにしています♫)
〇〇のせいにしない。彼が施設に入所してから、今に至るまでを見てきて感じた彼のイメージの一つです。 児童養護施設には様々な理由で入所してきます。時には人のせい、環境のせいにして、自分を励ます事も必要だと思います。そんな中彼は〇〇のせいにする事なく、その時々に近くで支えてくれるひとから、多くを積極的に取り入れ、学び、そして感謝の気持ちも持っていました。そんな彼が次なる夢に突き進むためにも、オンライン里親様のご支援が必要です。ご支援をよろしくお願いします。
みらいこども財団では「貧困や虐待についての現状」「児童養護施設の現状と課題」「みらいこども財団の活動内容」について詳しくお伝えするオンラインセミナーを定期的に開催しております。まずはお気軽にご参加ください。
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児童養護施設の子どもたちを支援するには長期間にわたっての支援が必要不可欠です。 現在、児童養護施設に入所する子どもは低年齢化、さらに長期化しております。 1歳から乳児院に入り、18歳で卒業するまで児童養護施設で暮らす子どもが増えています。 そのような子どもたちを長期間支援するために、サポーター会員として継続的寄付をお願いいたします。
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遺言に基づいて特定の個人や団体に資産を分け与えることを「遺贈」といいます。 遺言書の内容により、受取人やその内容を指定することができます。 一部またはすべての財産の受取人として一般財団法人みらいこども財団をご指定いただくことで、日本で貧困や虐待で苦しんでいる子どもたちの支援や奨学金としてご支援いただけます。
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みらいこども財団は、内閣府が主宰する「子供の未来応援基金」の支援を受けています。 子どもたちに寄り添って草の根で支援活動をする団体として、第4回未来応援ネットワーク事業に採択されました。
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