金額 支援者一人あたり 12万円/年 × 4年間 募集人数6人
〇18歳(インタビュー時)男性 (中部地方生まれ) 〇0歳の時から併設の乳児院に入り、18歳卒業まで児童養護施設で暮らす 〇2025年4月から4年制大学に進学し、自然環境について学ぶ 〇将来の夢は林業や自然環境に携わり、JICA海外協力隊として貢献すること
もともと自然とか外で遊ぶことがすきだったので、自然と関わる仕事がしたいという思いがあって、専門の高校に進みました。大学は目指しておらず就職を考えていたのですが、すごく良くしてくださる先生との出会いがあって、様々な課外活動含めて経験するうちにもっと勉強したいなと思い、大学進学を目指すようになりました。特に、林業の道の名人のような方にインタビューをしてまとめるという活動が大きなきっかけになりました。 地域の林業を再生するような取り組みに携わりたいという思いがあり、そのためにはまず知識がないといけません。山だけではなくて海や川なども含めて自然環境全般を学ぶことができる今の大学に決めました。
乳児院の0歳から数えると18年間児童養護施設で暮らしています。途中一度だけ里親さんのもとへ行ったことがありますが、うまくなじむことができなくて1か月くらいで児相の方がお迎えに来ました。里親さんが仕事をしている間は部屋で一人で過ごすことがあって、一般家庭では普通なんだと思いますが、たくさん人がいてにぎやかな施設の環境でずっと育ってきたから慣れなかったです。 中学生までは周りの友達とかも施設に住んでいるということを知っていたので気にならなかったのですが、高校では知らない人ばかりだったので、施設出身であることを隠したくて先生と揉めることもありました。提出しないといけないプリントなどは施設の職員さんがサインをするので名字が違って、それを見られたくないから隠して持っていくけど、何も考えずに見えてしまう形で教卓に置いてしまうような先生もいて、出せなかったこともあります。友達と家族の話になったりしたときは自分に回ってこないでほしい…と思ったりしていました。 職員さんへの思いは発表会があって伝えたので、あまり言うことはありません(笑) 施設での生活がなければ出会えてなかった人もいっぱいいると思うので良かったと思っています。 ただ、大学費用・自動車免許の費用・一人暮らしの初期費用とかもすべて自分で払ったので、普通の生活だったらバイトで稼いだお金をもう少し遊びに使えたのかなとか、好きなモノをもっと買えたのかなという思いはあります。 それでも職員さんは自分のやりたいことを前面に応援してくれたので、周りには本当に恵まれていました。感謝しています。
あまり詳しく聞いていないので、おそらく親が警察等にもお世話になることがあって、養育が難しいからということで施設に入ったのだと思います。自分でも知りたいとかはなく、それが自分の普通と受け入れています。幼少期には数日泊まりに帰ることもあったようですが、あまり状況が良くなくて年齢が上がるにつれてなくなりました。面談もありましたが、児相の判断であまり頻繁に会うのは良くないということで、多くても年に1回程度だったと思います。小学校くらいからは会っていなくて、先日進路が決まったことの報告のために久々に会いました。 進学には否定的で、会うと暴力を振るわれる危険性もあるので、住所非開示の手続きを取り、連絡も取っていません。
アルバイトも自分でしてきたし、奨学金のことも自分で色々と調べて手続きをしました。弁護士の方とも話しましたが、「一人でやっていくという意思がないと頼ってしまって、そこから逆に何をされるかわからない、自分でやっていくという気持ちをしっかり持つように」と言われたので、「自分でやっていくから何もいりません」と伝えてもらう形を取りました。
林業や森などの分野でJICA海外協力隊に挑戦して、派遣された国や地域で貢献したいです。高校の時にJICAで活動をしている先生と出会って、自分も施設出身ではあるけれど、海外ではもっと困っている人がいるということも教えてもらう機会がありました。自分がいた地域は多文化共生にも力を入れていて、小学校の時から外国人のクラスメイトが4割くらいいて、通訳の先生がいるような環境が当たり前だったので、自然と海外のことにも関心を持つようになったと思います。自分の目で実際に見てみたいなと思っていて、JICAでは自分が好きな林業の分野でも挑戦できることを知りました。倍率は高くて難しいけど、大学のうちからすぐ応募できるようなものも、実務経験を積んでから応募できるものもあるので、何回落ちてもチャレンジしたいと思っています。
(どんな人になりたい?) まずは林業という自分の好きなことを仕事にできるような人になりたいです。あとは施設とかでも色々やってもらったので、ボランティア活動にも参加したいです。せっかくの人生なので好きなことをしたいですね。
「自分次第だ」とよく言われてきました。嫌なこともあったりしたけど自分の思い方次第で大丈夫と思える性格なので、それが大事かなと思っています。9:30~18:00までのバイトなどは大変で「またか…」と思ったりもするけど、周りの人にもよくしてもらっているし、自分のためだなと考えるようにしています。 自分はポジティブな性格、まあいいやというような性格なので良かったなと感じます。大体のことはなんとかなります。大谷翔平選手を見たら、めっちゃポジティブになれますよ!
突っ走って物事を進めてしまうところと頑固なところ、その二つが特に強いと周りからもよく言われるし、自分でもたまに感じています。高校生の時、遠方に行くプログラムがあり、先生から「締め切り後だけど…」と声をかけてもらって、「絶対行きたい!」と次の日に施設の職員さんに言って半ば無理やり許可をもらうということがありました。ギリギリになってからもやっぱりやりたいなと思ったら自分の意地を通してしまうところがあるので、職員さんも各所との調整で困っていたと思います。
長所は、ちゃんと目的があれば最後までしっかり続けられるところです。 高校の時、陸上部で本当は5000メートルをやりたかったのですが、なかなかタイムが伸びなくて。一年生の最後の試合でダントツのどべだったので、ダメだと思って800メートルに転向しました。800メートルはタイムも出たからやる気も出てきて、髪も坊主にして打ち込んで、県の準決勝まで出られるようになりました。 アルバイトも一年生から始めて、最初は全然やりたくなくて、でもお金貯めるためにしないといけないから仕方なくという感じだったんですけど、一度もやめずに三年間続けて。ちゃんと目的を持てば、自分が納得するまでできる性格だと思います。諦めが早い部分もありますけどね。
頑固で人から言われることを聞くのがそんなに得意じゃないというか、自分のこだわりが強いから、もちろん全部じゃないけど誰かの意見を素直に聞けないこともあります。ちゃんと周りの意見を聞いた方がいいかなと思っているけど、なかなかできないっていうのが現状です。
(高校時代は)ほとんど土日はバイトだったから趣味という趣味はないけど、映画を見たりとかカメラで写真を撮ったりするのは多分好きです。 アマプラで日本の映画を見る事が多いです。最近見て面白かったのは横浜流星が主演の「春に散る」です。 カメラはアマゾンで1万円くらいのものを買って。画質はあまり良くないけど、いわゆる“エモい”写真が撮れるレトロなカメラです。特にカメラにこだわりがあるわけでもなく、どこかに行ったら思い出を残すために撮るみたいな感じです。
覚えてないですけど、多分ゼロ歳から施設にいて18年になります。アルバムを見たら本当に小さい、ハイハイしてるくらいの頃から写真が残ってるんですけど、全く記憶はないです。気がついたら施設にいたし、その生活が自分の当たり前でした。
小学校3年生までは本体施設の方にいました。そこから里親さんのところに行ったのですが、あまりうまくいかなくて、里親の人と合わなかったりということで、1ヶ月ぐらいで児童相談所に行き、2~3ヶ月ぐらい過ごした後にまた施設に戻りました。
施設には人がいっぱいいるじゃないですか?そこからいきなり里親2人と自分と3人の普通の家庭というか…、自営業をしている家庭だったのですが1階がお店で2階が住むところで、里親さんが仕事をしている間は自分は2階で一人で過ごして。普通の家族は多分そんな感じだと思うんですけど、小さい頃からいろんな人がいっぱいいる賑やかな場で過ごしてきたので、自分に合わなかったのかなと思います。
多分里親さんの方も「合わないな…」という判断をしたのだと思うのですが、何も言われることはなく、お別れの時は、夜にいきなり児相の人が来て連れていかれました。その日は社会科見学があった日で、帰ってきたらご飯がカニだったんです。実はずっと「カニが食べたい」と言っていたんですよ。なんで今日はこんなに豪華なんだろう?と思ったので、そのことだけすごく覚えていて。最後の日だったからなのかなと。
実は里親さんが体を悪くしてしまって、金銭的にも苦しくなったみたいなことを後から噂で聞いたのですが、当時はこのまま過ごしていくと思っていたので、なんでいきなり連れて行かれるんだろう?とショックでした。今振り返ると優しくてよくしてくれたし感謝しかないのですが、当時は「ただ行かされただけだし」という感じで、里親さんに当たったりするようなこともあったんじゃないかなと思います。
数ヶ月いた一時保護所の記憶は、ご飯がおいしかったということと、なぜか自分の名字を言ってはいけないというルールがあったということくらいです。よくわからないですが、一時保護所を出てから繋がったりしたらダメだったのかな…。それ以外の記憶は特になく、嫌な思い出もありません。周りの子たちとも仲良く過ごしていました。
施設に戻ってからはしばらくまた本体施設で暮らして、5年生から地域小規模の方に移り、そこからはずっと小規模で暮らしていました。
幼稚園の時は多分やんちゃで結構怒られていたかなという記憶があります。大きい子に可愛がってもらっていたので、そういう子たちの言動を真似していたんだと思います。
小学校の時も元気いっぱいでわんぱくなままでしたが、いつも周りの人に恵まれていました。いろんな先生が声をかけてくれたり、可愛がってくれたなと。小4くらいから野球をやっていましたが、周りの子の親御さんとかと関わる機会も多くて。結構輪の中心にいて人が自然と集まってくるようなタイプだったんじゃないかなと思います。
野球は小学校が全盛期で、ポジションはショートだったのですが、地区の選抜に選ばれたりしていました。中学校に入ってから人が少なくてキャッチャーをやっていたのですが、9人ぎりぎりで試合にやっと出られるくらいで、残念ながらそれ以上はなかなか伸びませんでした。
高校では陸上部に入りました。野球はとても楽しかったので迷ったのですが、「チーズはどこへ消えた?」という本を読んで、自分の道を考えるにあたって、小さいころから足が速かったこともあって陸上の方がチャンスがあるかなと思って、野球を辞めて陸上を始める決断をしました。
短距離も長距離もそれなりに速かったのですが、長い距離の方が面白いかなと思って中長距離を選びました。
本当は5000がやりたかったけど、800の方が多分自分の体格とかに合っていたのかなと思います。800は2分を切るとまあまあ速いという感じなので、3年間で2分を切るという目標でやってきましたが、2分1秒で切ることはできませんでした。でも県大会の準決勝には何度か行くことができました。
足を怪我することが多かったので、練習前に早く来て、まずストレッチから始めて筋トレをして、そこからチームのアップが始まるので人の2倍は準備をして、中距離の練習が終わったら短距離の方も入らせてもらっていました。
強いチームではなかったし、中には面倒だから来ない、遅刻するという子も周りにいた環境だったし、グラウンドもほぼ野球部に取られて小さい環境だったけど、自分は真面目にやっていました。土日はバイトで部活に行けなかったから、その分平日はしっかりやらないといけないという意識も持っていました。
中学校までは人前で話をしたりということは苦手だったし、自分の意見を言うこともないような性格だったのですが、壮行会で自分から手を挙げて全校生徒の前で話をしたり、合宿でも外部のコーチに自分から話に行ってアドバイスをもらったり、陸上を通じて変わったなと思います。
のめり込むまでは時間がかかったり、なんでなの?と思ったりすることもあるけど、自分でしっかり目標を持ってのめり込んだら、周りに流されずに頑張れる自信はあります。そこまではなかなか行けないですけど…
最後の大会はもうすごく気合を入れて行ったんです。髪の毛もないくらいまで剃って、壮行会でも「やったるぞ」って宣言して、朝練までしたのに、大会で初めてこけるという…。自分の中では結構いけると思っていたし、周りもそう思ってくれていたんですけど。こけてからも3人抜かしたのですが、タイムが及ばず、予選で負けてしまいました。その時は悔しくて泣きましたが、それも自分らしいなと思います(笑)良いところで勝てないというのも含めて自分の良さかなって。店長に言ったら「簡単に勝ったら面白くないからそれで良いんや」と言ってもらいました。
勉強はやることはやっていたという感じで、テスト期間はバイトも休んで図書館でやっていたりもしていました。自分ではもうちょっとやらないとダメだなと思うことはありましたが、「勉強やれよ」とか何か言われたりするようなことはなかったです。
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