目標金額 支援者一人あたり 12万円/年 × 4年間 募集人数7人
〇18歳(インタビュー時) 女性 (関西) 〇二人の兄と弟・妹がいる 〇小学5年生から児童養護施設に入所、高校卒業まで暮らしていた。 〇2025年4月から4年制大学に入学し、語学を中心に学ぶ
将来は海外の児童養護施設で働きたいと思っていて、国際系の大学を選びました。小さい頃から児童養護施設で生活していて、いろんな世界を知れたり、経験させてもらったりしたと思います。ただ施設では結構これをしたらダメというルールも多くて、もちろんその理由も教えてきてもらってたんですけど、全部これダメとかあれダメと型にはまってしまったら、自分が考え方を広げられないかなっていう風にいつ頃からか思い始めました。受け入れることも大事だけど、何でもかんでも受け入れるんじゃなくてちょっと考え方を変えてみたり、もっとより良くできるんじゃないかなと。
加えて、自分と全く同じ状況ではないかもしれないけど、経済的であったりとか世界に行くともっと金銭的な問題って幅広くあると思うのですが、自分と似たような状況の子たちを助けてあげられないかなとも思っていました。 テレビなどで飢餓の子どもたちの動画を見てすごい衝撃を受けて、青年海外協力隊のボランティアやユニセフなどいろんな団体の活動を知ったりもして。自分もその子たちを助けてあげたいし、世界に行ったらもっといろんな考え方があるから、型にはまらずに考え方を広げて、自分の世界をもっと広げられるのかなと思って、突き詰めていくと海外の児童養護施設だなと思いました。
大学では国内外の色んなボランティアのことも学んで、留学などもして、どこの国が良いとか、どんなことがしたいかとかも見つけていけたら良いなと思います。
ルールは一つ一つすごく細かくて、もちろん子どもの安全を守るためだとか、文句も言えないくらい的確な理由があるのですが、それでも自分が外の世界に行った時に感じるギャップみたいなところで苦しんでた時期も多かったです。「施設を退所してからこういう風にしたら良いよ」ということももっと学べたら良いなと思うし、今は全部ダメってなっているけど、ある程度緩和してもらって施設にいるうちから練習するみたいな、そういう風にできたらよかったんじゃないかなとも思ったりします。
でも、八年間ずっと担当で持ってくださったフロアの職員の先生も、通りかかった時に絶対に話しかけてくれるみたいな先生も、自分の生活のこととか人間関係も含めて気軽に話せる先生がたくさんいました。もちろん怒られることもあったし、やいやい言われて鬱陶しいなって思うこともいっぱいあったし、ぶつかり合ったことの方が八割ぐらいで覚えていますが、それでも最後まで寄り添ってくれて、自分の成長に導くようにサポートしてくれた先生方が多かったのですごく感謝してます。
大学進学もまだまだ施設内では一般的ではなくて、金銭的な面で諦めてしまう子が多いとも聞いていました。それでも「大学や短大に行っている人も就職してる人もそれぞれいるけど、結局は自分のやりたいところに行ったらいいと思うし、そこのサポートは全力でするよ。いろんな財団さんの支援金とか、推薦もするし、そういうサポートはできるよ」と言ってくださったので、自分が頑張ってお金を稼ぐのももちろんだけど、助けてもらった上で自分が四年間大学を過ごして、将来に自分がいただいた感謝みたいなものを次の子どもたちに恩送りできたらいいなっていうふうに思っています。
五人兄妹で、兄二人と私・妹・弟は父親が違います。一番下の弟が生まれて少しして、父と離婚することになり、そこから母が一人で育ててくれました。兄弟間で暴力もあったり、母も一生懸命育児をしてくれていたのですが、色々と難しさがあって、私は小学5年生から施設に入ることになりました。
小学生の時は「お金は残せないけど、経験だけはさせてあげたいから」と、やりたいと言った習い事はさせてもらいました。小さいときは厳しいイメージだったけど、距離をおいてみて、時間が経ってみると愛があったと思います。世界で唯一の私のお母さんだし、お母さんの子で良かったなと思っています。
一番上の兄は少し母とうまく行っていないようで、もう長い間会えていません。二番目の兄も色々と大変みたいですが、4月からは実家で暮らすようです。妹も弟も今それぞれの施設で頑張っています。
小さいときの家族みんなで過ごした温かい記憶があるので、家族全員で集まることができない寂しさはありますが、母からは「誰かが誰かのことを批判したとしても、兄妹で絶対に協力し合って生きて行ってほしい」と言われているので、そこは絶対約束しようと思っています。
私はやっぱり子どもに寄り添うっていうのを一番大事にできる職員になりたいです。自分が寂しいとかなんか悲しいとか、辛いとか、どんな感情であっても寄り添ってくれる大人がいるっていうのはすごい大事だと感じています。その寄り添うというのも、ただ近くにいるとかではなくて、そっとしておいてほしいだけとか、いろんな寄り添い方があると思うので、そうしたことを学んでいけたらいいなと思っています。
(どんな人になりたい?) 穏やかな人でありたいなって思っています。人を思いやれる心であったりとか、人に対しての感謝もそうですし、寄り添いとか温かい人でいたいなっていうのがずっとありますね。
施設だからとか過去の環境が…と思って、進学とか将来を諦めてしまうのでなくて、本当に自分がやりたいこととか、目標や夢に向かってちょっとでもいいから歩んでいけたらいいなっていうふうに思っています。そのためにそこに向かってどうすればいいのかとか、例えば、財団さんがあるから手助けしていただくとか、いろんなやり方がきっとあると思うんです。だからいろんな方向性、その目標とか夢に辿りつけるまでの準備をしっかりして、ちょっとずつでも歩んでいけたらいいんじゃないかなっていうふうに思います。
国内だけでなく外国で困っている人や子どもたちの力になりたいという、強い意志を持ちながら施設での生活を経て大学に進学しました。施設生活での入所期間が長く、本児なりに葛藤した日々だったと思いますが、自立のために何が必要か職員とともに模索してきました。園内で職員と向き合うことが多かったので、園外の大人と触れ合う機会が多くはありませんでした。今後はたくさんの大人と関わりながら、これまでと違った視点での考え方を吸収することや、他者から支えてもらえることへの有難みをより感じてほしいなと考えています。ご支援よろしくお願いします。
丁寧で夢に向かって努力をし続けられる子です。外国の方とお仕事をしたり、話すことができるようにと自主的な勉強を怠らず過ごしていました。その自らまとめた勉強ノートは色分けや配置がこだわられており、いつ見返しても分かりやすいようにと書かれており夢に向かった努力の為なら寝る間も惜しまない程です。また、話している間の笑顔が素晴らしく、話を聞いている側が自然と笑顔になれます。ぜひ応援していただきたいです。よろしくお願いいたします。
園での生活の中では、将来の夢、大学受験に向けて一生懸命頑張っていた姿が印象的です。気が遣える心優しい子どもで、自分より他人を優先しすぎてしまうところがあるので、大学では自分のしたいことにめいっぱい取り組んでほしいと思っています。人から助けを貰うのが苦手なので、大学では色々な人と関わりたくさんの人との関わりを学んでほしいと思っています。心配な事にも向き合って解決していけるよう、皆さまのご支援をよろしくお願いします。
小学5年生から高校3年生まで施設で集団生活の中で生活をしていました。高校生になってからは将来の夢に向かって学業に励んだり、1人暮らしをすることを目標に自立に目を向けて取り組み、お金の使い方、自炊や、家事等自分で考えて出来る様に頑張っている姿が印象的です。人一倍目標に向かって頑張ることができます。施設での生活が長かったことで分からないことがたくさんあることだと思います。沢山のサポートと応援をどうぞよろしくお願いいたします。
自分がこうなりたい、それならこうしないといけないと自分で考えて、自分の目標を持てる子だと思います。児童養護施設で生活していく中で、園と一般家庭とのギャップを感じながらも自分の夢に向かって頑張れる子です。今も一生懸命に頑張っている朱里ちゃんのために園職員も一緒に頑張っていこうと考えていますが、私たちだけではなく一緒に夢を応援していただきたいです。どうかご支援よろしくお願いします。
心配性な性格です。よく言えば計画性を持って行動することができるとも言えるかもしれないのですが…。計画を立てていたほうが安心できるので、例えば今日は英単語を10個以上覚えるという目標を立てたらそこに向かうToDoプランを立てて努力します。心配したり、焦ってしまうことが苦手なので防ぐためにやっている部分もあると思います。
アルバイトでお客様や先輩への接し方で悩んだことがあって、色々調べたり、周りの人にも聞いたりして、前もって対応を想定するようにすると自分も落ち着いて対応できました。焦ってしまってうまく対応できなかった時も、自分なりの考えと取り入れた考えをマッチさせながら次に活かしていました。
でも旅行は無計画で自由気ままにという精神もあります(笑)
長所は自分の好きなことに対して一直線に進むことができるところだと思います。やりたいことを決めたらそこに向かって努力するのは結構得意です。
苦手なのは朝起きることです。睡眠はしっかり取れていると思うのですが、朝起きれない日が続いてしまうこともあります。そんな時は少し意識して早めに寝るようにしています。
これから一人暮らしがはじまって、自分自身怠けてしまわないかなという心配はありますね。
趣味:小さい頃からダンスを習っていました。今は友達とスタジオを借りて一緒に踊ったりしています。K-POPが好きで曲を聴いてワクワクした気分にもなりますし、振り付けを覚えて踊るのが楽しいです。
料理を作るのも好きです。高校の時も毎日お弁当を作っていたし、自立訓練の時も毎日自炊をしていました。ある程度の料理はレシピを見なくても作ることができます!
心がけていることは笑顔と感謝を忘れずに日々過ごすことです。
昔から勉強があんまり得意とかじゃなくて、でもそのように何かできないことがあっても、笑顔と感謝を忘れずに持ってたら、うまくやっていけるかなと思っていて。感謝はもちろん、自分から感謝しようと思ってするのではなくて、自然と出てくるものだと思うのですが…。有ることが難しいから「有難い」って言ったりすると思うのですが、だからとにかく目の前のことや、環境とかに感謝して笑顔を忘れずにということを意識するようにしています。
兄が二人と妹と弟の5人兄妹で母との6人家族でした。シングルマザー家庭っていうんですかね。上の二人と下の三人は父親が違います。あまり深くは知りませんが兄の父親とは、金銭面や育児放棄のような問題があって離婚したと聞いています。私の父もいろんな問題があったようで、一番下の弟が生まれてわりとすぐに離婚しました。父とは小さい頃に会ったことはあると聞いていますが、顔は覚えていません。
家では兄弟喧嘩をよくしていました。基本的には私と誰かが喧嘩しているという状況が多かったように思います。
兄弟が家のお金を取って外で使ってしまうなどの金銭的な問題や、兄妹間で性的な問題があったり、いろんな問題がありました。母も一人で一生懸命育児をしてくれているけど、その時の関わり方が難しかったり、どうしても手を出してでも言わないといけないような状況になってしまったり。あの時期は自分自身もすごく辛かったし、兄妹もすごく苦しんでいたと思います。そうしたいろんな問題があったので、何度か一時保護所に相談に行くことがあり、最終的に私が小学5年生の時に二番目の兄が施設へ、その後、私と妹と弟も施設に行くことになりました。私と妹は同じ施設だったのですが、弟は別の施設で、一番上の兄と母だけが家で暮らしながら、他の兄弟はそれぞれ施設で暮らすという生活が始まりました。
楽しい思い出とか愛に包まれるような思い出もあります。BIGBANGのコンサートにみんなで行ったり。韓国に興味がある家族だったのでコリアタウンにご飯を食べに行ったり、いろんなところにお出かけもさせてもらいました。あと祖父母や祖父母が飼っていた犬も含めて家族みんなでどこかに行ったり、お泊りに来てもらってわきあいあいとするみたいな…。そんな時間がすごく好きでした。小さい頃の思い出がどんどん消えていってる感じがしますが、温かい家族の記憶が今もありますし、この家族で良かったなっていうのは絶対変わらないです。
私は、幼少期から食べることが大好きで、毎日絶対にアイスを食べていたそうです。スーパーではアイスを買ってもらわないとごねて泣いていたそうです。買ってもらったら笑顔みたいな…笑
小学生の時は外で遊ぶのが好きな子でした。習い事を5つくらいしていたので、それを活用して遊んだり、でもほとんど習い事をサボって友達と遊びに行ったりしていました。母には怒られつつ、そんなことをしていたように記憶しています。
習い事はダンスとそろばんとピアノとキックベースと英語をやっていました。兄は塾に行っていたり、妹弟はギターをしたりしていました。母は「私が死んだ時に兄弟に一円も残せるお金はないけど、小さい時からいろんな経験をさせてあげたいからやりたいって言った習い事はさせてあげるから、勝手に休んだりとかそういうことはしないでほしい。辞めたいなら辞めていい、やりたいことをやらせてあげたい。」と言ってくれていました。当時はわかっていなかったけど、本当に大変だったと思います。国からの支援金だったりとか母子手当みたいなものをやりくりして色んな経験をさせてもらいました。今振り返って本当に心から感謝しています。
小学校5年生で施設に行くことになったとき、施設がどんな場所か想像がつかなかったのですが、家庭で起こったいろんな問題のことを「真ん中の自分がこうしてたら止められたんじゃないか?」という『自分のせいだ』と思う気持ちが強かったこともあって、刑務所のような収容される場所というイメージをもっていました。私が行った施設はすごく自然の中に囲まれた中にポツンとある施設で、夜の8時とかに着いたので「本当にそういうところに来たんだ…」と怖かったです。家族ともう一度暮らしたい、もう悪いことしないから仲良く暮らしたいとか、いろんな感情が混ざっていたので涙しか出なくて、なんとも言えずに施設に行くというような心情でした。
でも大人の方にすごく優しく関わってもらって、子どもたちも言葉遣いが荒い子もいましたが、慣れていくうちにたくさん笑えたり、楽しいなと思えるようになっていきました。
施設に入ってからは小学校から中学校までずっと同じメンバーでした。施設でも学校でも会うから鬱陶しいなと思うこともありましたけど、慣れてきたら楽しめました。相手の子の性格がわかったらどう対応したら良いかもわかってくるし、学校でも精神的な部分の話も聞いてもらえたりしたので、成長できる場だったなと思います。
中学の部活はバレー部でした。施設の先生も学校の先生も一緒になって、みんなで練習して頑張っていました。先輩たちが強くて私が2年生の前半までは試合で勝つことも多かったので、私の代が上になってからは少しレベルが落ちてしまったかもしれないけど、練習量も増やしたりして大会に向けて助け合ってやれたなという思い出があります。
高校進学の時は、小さい時からやっていたダンスの道に進みたくて、インターナショナルスクールに通いたいと思っていました。茨城県にある韓国の学校で、韓国語を学びながらダンスや歌を本格的に学べて、将来は韓国に渡って事務所で活躍するというようなK-popエンターテイメントコースというのがあって、そこに入りたかったんです。でもそこは「高校卒業」の資格が取れない学校でした。私が中学校3年生の時に家に帰るのか、施設に残るのかという話し合いがあって、今の状況ではまだ家に帰らずに施設に残るということになり、施設としてはやはり高卒の資格を取るために高校に行く必要があると言われて、その道は断念せざるを得なくなりました。何を言われても絶対に行くというくらいに思っていたので、絶対無理と言われた時はすごく悔しかったです。
普通の高校に行くということになり、公立と私立の併願でしたが、人数がとても多くていろんな価値観を持っている人と関われるんじゃないかと思って私立の高校に決めました。
ただ、もう入学式の時から不安でずっと泣いていたのを覚えています。本格的に高校生活が始まってからも、40人くらいのクラスで、狭い教室の中で私の容姿に対していろいろ言ってくるグループがいて、それをすごく気にしていました。お昼も保健室で食べたり、人とうまくコミュニケーションが取れていないなと悩んでしまって、ダンス部にも入っていたけどなかなか自分を出せずに色んな人に気を遣いながら一年を過ごしたという感じで。でも二年生の時に仲良くなれた子がいて、一年生の頃に比べてかなり楽になりました。修学旅行がマレーシアだったのですが、初の海外ということもあってわくわくしながらモチベーションを保てた一年だったなと思います。そこからまた三年生は進学とか進路を本格的に考える年で、なんとなくクラスの雰囲気も苦手で、学校に行くことができずに休んでしまったことも多かったです。でもなんとか頑張って無事卒業できたという三年間だったなと思います。
しんどいことも多かったですが、最終的にはこの高校でよかったなと思えました。
勉強は小学生の頃から算数があまり得意ではなかったです。例えば「1+1=2」ということはわかるけど、なんで2になるのか?どこから出てきた?みたいな、根本みたいなところから抜け出せなくて、勉強が進まないということが多かったと思います。今でもそうで、あまり気にしなくていいところまで気にしちゃうから、次に進んだら一気にグンって伸びると思うのですが…。中学に上がってからも苦手意識は変わらなかったです。高校に入ってからは目標や夢が明確になったので、学校内での成績を維持して、学年一位を取ったこともありますし、ほとんどオール5で頑張っていたので、努力してきたかなと思います。
学校の大事な書類に名前を書く時は、施設長の名前になるけど、「苗字違うやん」ということになるから、裏向けで提出したりとか、先生にこっそり渡したりとかしていました。あとは門限や、スマートフォンのことなど、細かいルールでもこうしたらダメということがたくさんあったので、友達に話す時になんて言おうか…と迷いました。「お母さんに言われているから」とごまかして言うのは嫌だったんです。だから打ち明けられる友達には施設で生活していて、いろんなルールがあるから断ることもあると思うと話して、言えると楽になりました。そこまで正直に伝えられないな…という子に対しては、うまく説明したり、自分のこだわりみたいな感じで通して、なんとか隠してやっていました。
最初はやっぱり施設に対して、良いイメージを持っていない人が多いんじゃないかと自分では思っていて。施設に入ったのは家庭内の暴力だとか、自分が悪いことをして入ったと思われるんじゃないかなと思っていたので言うことに躊躇していましたが、言った方が楽なこともありました。話してみると意外と「ああ、そうなんや」みたいな感じで、そこまで重く受け止められるとかは今までなくて、後から恐る恐るあの時どう思った?と聞いてみたことがあるのですが、「別になんとも思ってない。朱里が施設に住んでようと関わり方は変わらんし、全然気にしてない」と言ってくれて安心したのを覚えています。
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