〇18歳(インタビュー時) 男性 (中国地方) 〇家族は母、四人兄弟の3番目 〇2026年4月から関西地区の4年制大学に入学して考古学を学ぶ
自分が「好き」「興味がある」と感じた分野(特に歴史)に対しては、集中力があります
かつて人間関係に悩んだ経験から、高校では「誰かの助けになりたい」と思うようになり、こまっている友人のフォローや、アルバイト先での家族連れへの配慮などができていると思います。
興味がなかったり、一度にたくさん指示されたり、並行して作業したりする際に、少し戸惑ってしまう傾向があります。
筆記試験などの準備ができるものは得意ですが、面接などその場の対応が求められるプレッシャーのかかる場面では、緊張してしまいます。
歴史・考古学
日本史: 戦国時代が好き。特に伊達政宗、豊臣秀吉。
世界史: 古代文明(エジプトなど)。好きな人物はアキレス。
活動: 遺跡や城郭、世界遺産、重要文化財について調べることが日課。
将来の夢: 関西の大学で「考古学」を専門的に学び、調査・研究に携わること。
ファッション
高校生になってから興味を持ち始めました。ZOZOTOWNなどで服を探したり、きれいめなコーディネートを考えたりするのが好きです。
卓球
小学4年生から高校まで部活動等で継続。県大会への出場経験もあります。
読書
主に歴史関係の専門書や偉人の本。施設や学校の図書室にある歴史本を読み漁っていました。
亮太さんは、4人きょうだいの3番目として生まれました。 2つ上の兄、すぐ上の姉、そして2つ下の妹。 しかし、家族全員が一つ屋根の下で暮らした記憶は、彼の中にはほとんど残っていません。
父と母は、亮太さんが物心つく前に離婚しています。 父とは一度だけ面会の機会がありましたが、それ以来、連絡は途絶えています。
女手一つで4人の子どもを育てることになったお母さん。しかし、精神的なストレスが重なり、体調を崩してしまいます。それが原因で 母は苦渋の決断を行い、子どもたちは児童養護施設へ預けられることになりました。
上の兄と姉は別の施設へ。亮太さんは、生まれたばかりの妹と同じ乳児院を経て、2歳の秋、現在暮らす児童養護施設へとやってきました。
「施設に入る前の記憶はないんです。だから、ここでの生活が僕にとっての『当たり前』でした」
彼にとって、施設は特殊な場所ではなく、育ちの家そのものでした。 同じ敷地内には2歳下の妹も暮らしています。男子棟と女子棟で生活空間は分かれていますが、きょうだいが近くにいることは、無意識のうちに彼の安心感につながっていたのかもしれません。
お母さんとは一緒に暮らせませんでしたが、関係が切れたわけではありませんでした。 運動会や学習発表会などの行事には駆けつけてくれ、クリスマスやお盆には面会をする。離れて暮らしていても、母と子の糸は繋がっていました。
地元の小学校に入学した亮太さん。 1学年1クラスという小さな学校で、6年間同じ仲間たちと過ごしました。
低学年の頃は、少しおとなしい性格の少年でした。 そんな彼の目が輝き始めたのは、小学3年生の頃。テレビのニュースで流れた「エジプトの遺跡発掘」の映像に釘付けになったのです。 「昔の人は、どんな暮らしをしていたんだろう?」 遠い異国の砂漠に眠る古代文明。そのロマンに触れた瞬間、彼の心に「歴史」という一生の趣味が芽生えました。
高学年になると、少し活発さも見せ始めます。 小学4年生からは、施設の子どもたちと卓球を始めました。これがきっかけとなり、高校卒業まで続く長い趣味となります。
一方で、3〜4年生の頃には、クラスメイトとの人間関係で少し悩んだ時期もありました。ちょっとした嫌がらせや、言葉の行き違い。 「僕だけ施設から通っている」 周囲の友人はそれを理解し、普通に接してくれていましたが、彼自身の心の中には、言葉にできない小さな葛藤があったのかもしれません。
それでも彼は、6年間を逃げずに通い続けました。 歴史という「好きなもの」を見つけ、卓球という「打ち込めるもの」に出会った小学生時代。 それは、今の夢に向かう亮太さんの基礎が作られた、大切な時間でした。
地元の中学校に進学した亮太さんの毎日は、決して明るい話題ばかりではありませんでした。
「3年間、人間関係のトラブルが絶えなくて。正直、しんどかったですね」
小学生の頃から少し悩み始めていた周囲との関係は、思春期に入りさらに複雑化しました。特定の誰かと深く対立したわけではありませんが、日常的な小さな嫌がらせや、疎外感。 彼は次第に心を閉ざし、性格も少し暗くなってしまったといいます。
そんな彼の心の聖域となったのが、やはり「歴史」でした。 中学校の図書室は、彼にとっての宝の山でした。小学校にはなかった、お城の建築様式や全国の史跡に関する専門書が並んでいたからです。 教室での人間関係に疲れた心を癒やすように、彼はますます歴史の世界へ没頭していきました。
「嫌なことは、真面目に受け止めすぎずに受け流せばいい」 施設の職員さんに相談し、アドバスを受けて3年間の中学生活を乗り切ることができました。
高校進学は、彼にとって大きな転機となりました。 第一志望の公立高校には面接での緊張が響き不合格となってしまいましたが、併願で進学した現在の高校が、彼を変えました。
「クラスの雰囲気がすごく良かったんです。みんなが僕を受け入れてくれた」
新しい環境、新しい仲間。中学時代の人間関係の悩みから解放された彼は、水を得た魚のように本来の優しさを発揮し始めます。 黒板消しを忘れている日直がいれば、そっと手伝う。先生が困っていれば、自分から声をかける。 かつて人が怖かった少年は、いつしか「誰かの役に立ちたい」と自然に行動できる青年に成長していました。
勉強へのモチベーションも劇的に変わりました。 「授業が楽しい」と感じるようになり、成績は「3」中心だった評価が「4」や「5」へと向上。 部活動では卓球部を続けながら、高校2年生からは「社会勉強と、将来の一人暮らしの資金作り」のために飲食店のアルバイトも開始しました。 忙しい日々の中で、彼は確実に自信を積み重ねていきました。
大学進学を明確に決意したのは、高校2年生の夏のことでした。
もともと歴史好きが高じて「いつか**に住んでみたい」という憧れは持っていましたが、それはまだ漠然とした夢に過ぎませんでした。 しかし、実際に大学のオープンキャンパスに参加したことで、その思いは確信に変わります。
「ここなら、僕のやりたいことができる」
「親元を離れ、誰も知らない土地で挑戦してみたい。それが自分の成長につながると思うから」
不安がないと言えば嘘になります。しかし、それ以上に「学びたい」という情熱が勝りました。 中学時代の孤独な読書から始まった歴史への旅は、高校での人間的成長を経て、ついに「考古学研究」という具体的な未来へと繋がったのです。
学校では「気配りができるしっかり者」の亮太さんですが、施設に帰ると少し違った一面を見せます。 「学校ではアウトドア派っぽく振る舞ってますけど、施設に帰ったら即、着替えて布団に潜り込むインドア派です(笑)」
彼が暮らすのは、小学生から高校生までが共同生活を送る男子棟。 年齢が離れた小学生たちと同じグループで過ごす中、彼は自分だけの時間を大切にしていました。
特に印象的なのが、彼の勉強スタイルです。 「職員さんに勉強してるところを見られるのが、なんか恥ずかしくて」 夜、宿直の職員が見回りに来ると、彼はさっと布団を頭まで被って寝たふりをします。そして職員が去ると、また起き上がってこっそり勉強を再開するのです。 「あいつ、またサボって寝てるな」と思わせつつ、実は誰よりも努力している。そんな少しひねくれた、けれど愛らしいプライドを持って、彼は施設での夜を過ごしてきました。
門限などの厳しいルールも「長く住んでいるから慣れました」と笑う彼。2歳から続く施設での生活は、彼にとって不自由な場所ではなく、安心して自分らしくいられる「我が家」そのものでした。
16年という長い年月を共に過ごしてきた職員さんたちのことを、亮太さんは迷いなく「第2の親」と呼びます。
もちろん、最初から素直になれたわけではありません。 特に精神的に不安定だった中学時代は、職員さんと衝突することも度々ありました。言葉がきつくなったり、反発したり。 けれど、職員さんたちは決して彼を見放しませんでした。彼が何に悩み、何に苦しんでいるのか。一番近くで理解し、正面から向き合ってくれたのです。
「高校生になって、進路やバイトのことを相談するようになってから、関係が変わりました。昔は喧嘩もしたけど、ここまで育ててくれたのはやっぱり職員さんたち。感謝してもしきれません」
今では、アルバイトの悩みから大学生活への不安まで、何でも話せる頼れる存在です。
彼には、密かな目標があります。 この施設には毎年、あるプロゴルファーの方から寄付やプレゼントが届くそうです。 「いつか僕も社会に出て自立したら、あの方みたいに、施設の後輩たちにボールやおもちゃをプレゼントしたいんです」
自分が受け取ってきた愛情を、今度は次の世代へ。 そんな優しい夢を語れるほど、彼はこの場所で愛され、真っ直ぐに成長しました。
2歳で親元を離れた亮太さんですが、お母さんに対して「なぜ育ててくれなかったのか」という恨み言は一つもありません。 むしろ、彼が口にしたのは「感謝」の言葉でした。
「母は、母としての務めを十分に果たしてくれました。僕の保険の手続きをしてくれたり、節目には会いに来てくれたり。離れていても、僕の精神的な支えはずっと母でした」
お父さんとは、幼い頃に一度だけ面会して以来、音信不通の状態が続いています。 離婚の原因は高校生になってから知りました。
「いつかまた、会えたらいいなとは思います」
4人きょうだいの亮太さん。一番下の妹とは同じ施設の敷地内で暮らしていますが、上の兄と姉とは別の施設で育ちました。 年齢が近いこともあり、幼い頃は会う機会もありましたが、兄と姉が社会人になってからは疎遠になってしまっています。
春から始まる新生活。 それは、バラバラになってしまった家族の糸がつながればと思います。
「ただ歴史書を読むだけじゃなくて、実践的に調査がしたいんです。日本では僕の好きなことを本格的に学べる大学が少ないんですが、どうしてもここに行きたくて」
小学生の頃、テレビで見たエジプトの発掘映像に衝撃を受けてから約10年。 大学では、講義だけでなく、お城巡りや遺跡調査を行うサークルにも所属し、フィールドワークにも力を入れたいと意気込んでいます。
大学卒業後に 目指しているのは、「埋蔵文化財調査士(考古学調査員)」や「学芸員」の資格取得、そしてその職に就くことです。
建設工事の前に行われる遺跡の発掘調査や、博物館での研究・展示。 歴史の証拠を掘り起こし、それを後世に伝えていく仕事です。
「好きなことを仕事にする」 それは簡単なことではありませんが、布団の中で隠れて勉強を続けてきた彼なら、きっとその夢を現実に変えていくでしょう。
亮太さんは勉学に一生懸命に取り組みながら高校受験から大学受験まで目標を持って過ごしていました。また、アルバイトやボランティア活動にも積極的にチャレンジする姿は他児童の見本にもなり、先輩として学園を引っ張ってくれました。大学生活では、時につまずいたり困難にぶつかったりすることもあるでしょう。そんな時は、ひとりで悩むのではなく、近くの大人やオンライン里親さんの力を借りて乗り越えて行ってほしいと思います。学芸員になりたいという夢を実現するために精一杯活動する姿を期待しています。
亮太さんは高校3年間ほとんど休むことなく登校し、勉学に励んできました。結果志望校への入学も決め、来年度春より新生活に挑んでいきます。亮太さんに1つ頑張ってほしいことは、何でも最初から上手くいかないと決めつけて物事と向き合わないのでなく根気強くチャレンジをして欲しいです。物事に対して高い目標をたて、前向きに物事を考えることが出来る強みもありますが、現実に直面した時に物事と向き合うのをやめてしまう一面があります。そんな亮太さんだからこそ、様々な困難、問題を解決する力、1人では解決出来ないこともあると思うので周りの人と一緒に解決出来るような体験が大学生活を通して出来るよう応援しています。
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