目標金額 支援者一人あたり 12万円/年 × 2年間 募集人数10人
〇18歳(インタビュー時) 女性 関西出身 〇3人きょうだいの真ん中(兄と妹がいる) 〇幼少期から18歳まで児童養護施設で暮らす 〇2026年4月より福祉系専門学校(心理・福祉を学ぶ学科)に進学
性格は明るい方で、人から「ユーモアがあるね」と言われることもあります 。人と話すことが好きなので、コミュニケーションは得意な方だと感じています 。MBTI診断でも外向型の「E」タイプでした 。
最近の趣味は、自宅でNetflixのドラマを見ることです 。基本的にはインドア派なのですが、人とは関わりたいという気持ちがあります 。そのため、一人暮らしの暇つぶしも兼ねて人が多い駅に出かけ、お店に入って店員さんとおしゃべりをすることもあります 。
私の長所は欠点にもなるかもしれないけど、物事を楽観的に考えられる点です 。人から悪く言われるようなことがあってもあまり気にせず、「人は人、自分は自分」と割り切ることができます 。物事を重く受け止めすぎないからこそ、人間関係のトラブルも少なく生きられているのだと思います 。
私には1つ年上のお兄ちゃんと、年の離れた妹がいます 。私が児童養護施設に入ることになったのは、幼稚園くらいのころでした 。当時は母子家庭でしたが、施設に入った詳しい理由は今でもよく知りませんし、あえて知りたいとも思っていません 。本当のお父さんについては顔を見たこともなく、名前も分からない状態です 。
ただ、施設に入所した「最初の日」のことだけはよく覚えています 。その日はお母さんも私も熱を出して寝込んでいたのですが、突然家に人がやってきて、車で連れて行かれました 。一時保護所のような場所に数時間滞在した後、その日の夜には施設に到着していました 。右も左も分からない場所でお兄ちゃんと二人、ロビーで大泣きしたことを今でも覚えています 。
施設の先生によると、幼稚園のころの私は大人しくて聞き分けの良い子どもだったそうです 。しかし、小学校に入ってからは環境にも慣れて、周りの年上の子たちにも影響されて、自分大好きで、クソガキに育ってしまいました(笑)
学校では同級生に対して苦手意識があり、あまり仲良くしていませんでした 。その代わり、放課後は施設にいる年下の子たちといつも一緒に過ごしていました 。
小学校の高学年のころにはお母さんが再婚し、妹が生まれました 。新しいお父さんができた時期は、実家へ帰る機会も増えていました。再婚前も面会に来てくれたり、家に帰ったりもしていましたが、やはり一人だと忙しくて余裕がなかったんだと思います。お父さんが来て余裕ができたのかなと思います。
中学校へ進学して部活動を始めましたが、中学2年生のときに顧問の先生がとても理不尽な方で、学校に行きたくなくなってしまいました 。でも、この経験が私のメンタルを強くするきっかけになったと思います。「あの人はどうにもならないから、気にせず生きていくしかない」と割り切れるようになったんです 。その後、顧問の先生が産休で交代したこともあり、3年生のときは毎日しっかり部活に通うことができました。
一方で、このころからお父さんが病気を患い、病院に通う生活が始まりました。それに伴い実家に帰る頻度も少なくなりました。私は部活動もあったからそこまで寂しくはなかったのですが、お兄ちゃんの激しい反抗期も重なって、家族仲が悪くなる様子も間近で見ていました。
また、中学校のスクールカーストのような明確な上下関係の雰囲気が大嫌いだったため、「高校は中学校の子たちとは絶対に違うところに行ってやる」と強く決意しました 。
中学校の同級生から離れるため、あえて二つ隣の市にある高校を選びました 。通学には片道1時間半もかかり、電車もよく遅延する環境でした 。
進学時、施設の先生からは「中学のときに学校に行けなかった時期があるのだから、そんなに遠い高校は絶対に途中で休むようになるだろう」と言われました 。それが悔しくて、私は意地でも通い続けました 。結果として3年間で早退が1回あっただけで、遅刻と欠席はゼロという精勤賞をもらうことができ、施設の先生に自分の継続する力を見せつけることができました 。
高校生活は5人の親友グループと充実した毎日を送りました。進学後も近くにいる子が多いので、休みの日に会ったりしています。部活はせず、学校帰りに施設の近くでアルバイトに励む毎日でした 。
私は幼少期のころから高校1年生まで、ずっと「警察官になりたい」と言い続けてきました 。単純にかっこよくて、みんなから信頼される誇らしい仕事だと思ったからです。しかし、高校時代に実際の見学などを通して体力的に厳しい現実を知り、進学の道を選ぶことにしました 。
進学先として選んだのが、現在の「福祉の道」です 。年齢が上がるにつれて学園の先生たちと深く関わるようになり、施設の仕組みや子どもたちの現状が見えるようになりました 。施設で一緒に暮らす小さな子どもたちがこれからもっと成長していくことを考えたときに、「もっとできることがあるはずだ」と感じたんです。
せっかく施設について詳しくなったのだから、その経験を活かして、児童相談所の「児童相談員」として子どもたちに関わりたいと考えました 。保育士などの施設職員は自分には向いていないと思ったため、より広い視点で関われる道を選び、高校の先生や施設の先生にも納得してもらって進学を決めました。”あまり施設のことが好きではないキャラ”だったので、施設の先生には最初は驚かれたし、「心折れると思うよ」などということも言われました。でも最終的には理解してくれて「(児相職員と施設職員という立場で)一緒に仕事できたら嬉しいね」と言ってもらえました。
現在は施設とは離れた地で専門学校に通い、一人暮らしをしています 。これまでの学生生活はどちらかというと楽しい思い出が少なかったですが、今は本当にのびのびとできていて、とても楽しいです 。学校の仲間はみんな社交的で優しく、嫌なカーストもありません 。同じマンションに友達が住んでいることもあり、新しい生活にはすぐに慣れることができました 。
ただ、アルバイトに関しては少し苦戦しています 。新生活が始まってから2回面接に挑戦したのですが、どちらも落ちてしまいました 。施設の先生に相談したところ、「春はみんなが一斉に応募する時期だから受かりにくい。6月くらいになれば求人が空くからもう一度挑戦してみたら?」とアドバイスをもらいました 。そのため、今は一旦落ち着いて、学校の勉強に専念しています 。
施設で暮らしている(暮らしていた)ということは、本当に仲の良い子にしか言っていません。言いづらさもあるし、聞かれるのも面倒だし、敢えて言う必要もないかなと思っています。
長年過ごした施設のルールや不自由な決まりに対して、子どものころの私はいつも怒りを感じていました 。ただ、高校生くらいになり自分自身が大人に近づくにつれて、先生たちの見え方が変わっていきました 。 若い先生とは歳が数年しか変わりません 。そんな先生たちが、子どもからも上からも色々と物を言われながら必死に頑張っている姿を見て、「本当にすごいな、大変な仕事だな」と尊敬し、許せるようになったんです 。
先生たちへの一番の感謝は、仕事の枠を超えて「一人の人間」として向き合ってくれたことです 。ルールとしては怒られるかもしれないことでも、私のために手助けしてくれたとき、仕事だからではなく私自身を大切に思ってくれているのだと伝わり、本当に嬉しかったです 。今でも先生たちとはLINEでプライベートな報告をし合える、良い関係が続いています 。
実家の家族に対しては、複雑な思いを抱えています 。両親は私たちのことを大事に思ってくれているとは思うのですが、二人とも非常に気分屋です 。機嫌が悪いときに当たると本当に最悪な空気になります 。
その影響を一番に受けたお兄ちゃんは、家族との折り合いがつかず、最終的に「もう家族とは関わらない」と離れていってしまいました 。最近、私もお兄ちゃんと大喧嘩をしてしまい、現在は連絡を絶っています 。
そんな実家ですが、休みのタイミングを見つけては3時間かけて帰省をします。目的は、まだ実家にいる「小学生の妹」の様子を見るためです 。両親は機嫌が悪いとき、妹に対しても強く当たることがあります 。妹は言い返したりして耐えていますが、遠くにいる私としては妹がしんどくなっていないか、どう思っているのかが心配です 。妹のために実家との繋がりを保ち、帰省したときは一緒に買い物に行ったり、服をあげるなど、気にかけています。
将来の目標は、児童相談所の「児童相談員」になることです 。学校では社会福祉士と精神保健福祉士のダブルの国家資格取得を目指しています 。卒業後は、必要な実務経験を積むために2年間別の施設で働き、その後は地元に戻って相談員として働きたいと考えています 。
私は、子どもたちの目線に立った「一番話しやすい相談員さん」になりたいです 。私の経験なのですが、児相の職員さんと話をするのは苦手で、「なんでこの人が関わってんの?関係ないやん」というような思いもあったんです。だから、私は施設での暮らしをリアルに経験してきたからこそ、「ちゃんとわかってるよ」と伝えたい。「私に話してくれてもいいし、話さなくてもいい。」というスタンスで寄り添える存在になりたいです 。
あとはまだ周囲に気づかれず、施設にすら入れていない苦しい状況にある子どもたちにも、適切な支援の手を届けることができればと思います。
そして子ども心、子どもの時の気持ちを忘れないままでいたいです。子どもって結構わがままだし、自分勝手だけど、自分もそうだったから。その気持ちを忘れずに、自分の利益とかじゃなくて、子ども側に立てる大人になりたいと思っています。
いま施設にいる子たちの多くは、不自由なルールが嫌で「早く自立したい」と思っているはずです 。いざ自立してみると結構難しいし、先生たちが言ってたことって正しかったなと思うこともたくさんあります。どうしても行き場のない感情を先生にぶつけてしまうと思うけど、先生は受け止めるしかないし、見ていてかわいそうやな…って思うようなこともあったから、どうか当たりすぎないであげてほしいなと思います。
あとは「家族のことは気にしすぎず、自分の人生を精一杯生きてほしい」と伝えたいです。
私は施設で育った過去を「弱点」だとは思っていません 。良いようにとらえて、それを強みにして行ってほしいなと思います。
葵ちゃんが園に来たのは幼児さんの時でした。口をへの字に曲げ、眉を八の字にして不安そうな様子でしたが、お兄ちゃんと一緒だったこともあり、すぐに笑顔を見せてくれましたね。曲がったことが大嫌いで、お友だちと衝突することもありましたが、いつも元気な葵ちゃんは園を明るくしてくれていました。中学校では3年間ソフトボールに打ち込み、高校では将来に向けてアルバイトに励んでいたのを職員みんなで見守っていましたよ。そして今、夢を叶えるために新たな一歩を踏み出しましたね。大変なこともあるでしょうが、頑張り屋さんの葵ちゃんなら大丈夫。これからもずっと応援しています!
ユーモアと笑顔たっぷりの葵ちゃん。いつもたくさんの話を聞かせてくれて、周囲を明るい雰囲気にしてくれました。明るくおふざけキャラでもあったけど、実は真面目で、相手の立場になって考える事ができる思いやりのある素敵な人です。 周りがよく見える分、色々な葛藤もあったかもしれません。しかし葵ちゃんなら、どこへ行っても、葵ちゃんに手を差し伸べ助けたいと思ってくれる人がたくさん現れると思います。時には立ち止まり、葵ちゃんのペースでゆっくりと進んでください。応援しているよ!
葵ちゃんと出会ったのは、小学生低学年の時でした。宿題に苦戦して涙していた所が印象に強く残っています。中学生、高校生とさまざまな葛藤に立ち向かう姿を近くで見守らせてもらいました。時には厳しい事も言ってしまったけれど、自分で悩み選んだ道に進んでいく姿はとても頼もしかったです。また、慣れない環境で頑張ろうとしている葵ちゃんを誇りに思います。この先もいろいろな事があると思いますが、自分で悩み進む力を持っている葵ちゃんは乗り越えてくれると信じています。無理をしすぎずに。自分の夢を叶えて下さい。応援しています。
福祉の仕事に就きたいと進路を決めてからは真っ直ぐに進んできましたね。時には不安で涙することもありましたが、自分で答えを見つけて前に進む力がある葵ちゃんを尊敬しています。いつでもどこでも歌って踊って笑って楽しい葵ちゃんに私もたくさん助けてもらいました。本当にありがとう。慣れない事ばかりで大変だと思うけれど頑張ってください、心から応援しています。
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