目標金額 支援者一人あたり 12万円/年 × 2年間 募集人数6人
〇18歳(インタビュー時) 女性 (関東地区生まれ)
〇年の離れた異母姉一人と千尋さんの二人姉妹
生まれた当初は父、母の3人家族
幼少期に父母が離婚、以後、父と暮らす
〇父親からの虐待が原因で、高1の頃に児童養護施設に入る
〇2025年4月から2年制の理美容系の専門学校に進学
〇将来はブライダルヘアメイクアップアーティストになることが目標
長所は継続力というか、最後まで諦めない力があるところかなと思います。
小学校2年生〜中3まで軟式野球チームに所属していました。父親がコーチを務めているチームに連れて行かれて、正直最初は渋々、というところだったんですが、中学校になって女子チームになってから、練習の基礎であったりとか、筋トレだったりとかが、小学校よりレベルアップして、それで徐々に力を入れるようになっていって、やっと野球が好きだと思えるようになりました。強豪チームだったので、レギュラーは取れなかったのですが、周りの人が前向きな人が多く、向上心が出てきて続けられました。
短所は飽き性なところです。本来は何かに興味を持ち続けること苦手です。でも嫌なことがあっても興味がなくなっても、最後まではやるので、そういう根性で短所をカバーしてます。疲れてしまった時とか意欲が一時期落ちてしまった時は少しお休みはするんですけども、その後、なぜ私がその物事に取り組もうとしたのかっていうところから、また考えてその目的を思い出してれでまた再出発と言いますか、自分が始めた責任を考え直して、再始動しています。
あとは要領がいいタイプではないので、忘れっぽいところもあって、そういうのも、小さなことでもカレンダーにメモするとか、なるべく目の届く範囲に付箋に書いて貼るとかして対策しています。なんとか人に迷惑がかからないようにという気持ちでいっぱいで必死です。
メイク・美容系のことが好きです。メイクはするのも、見るのも好きです。
TickTockとかSNSなどの動画で知識を得て、メイクすることが多いです。
だいぶ前に終了してしまったんですが、駅に置いてあったホットペッパービューティのフリーペーパー版を毎月学校終わりにもらってきて、読むことを楽しみにしていました。クーポン以外にも美容の知識等が載っていて、それが大好きでした。
アニメ、美術作品やドラマを鑑賞することも好きです。
好きなものは有名なものが多くて、スポーツ漫画だとハイキューで、進撃の巨人も大好きです。この漫画を読んで初めて戦争ついて考えさせられました。「これだから世界から戦争はなくならないんだ」と衝撃的でした。
フラッと美術館無料のところに行ってみたりすることもあります。詳しくはないですが、絵画は好きです。モネ展で観た『睡蓮』がとても印象的でした。
ドラマは医療系が特に好きで、お気に入りの作品は『仁』『コードブルー』です。いろんな人の人間性や人生が垣間見られるのが面白いと思います。
人との距離感というか、そういうのは高校生活で身についたなって思います。平たく言ってしまえば、人の観察。苦手だなと思う人とも、関わらないのではなく、これくらいなら関わっていいかなと、うまく付き合える距離感を自分で探して、その距離感を保って、なるべく平和に過ごせるようになったかなとは思います。
小・中学校では、家庭のことやいじめがあり、人間と関わるのが苦手だったのですが、高校で環境が変わり、素敵な友達とも出会えました。だからこそ、今までの自分と同じような経験になったら嫌だなと思い、そのようにしています。
父の影響でもともと顔色伺うことや空気読むのは得意だったので、一度離れて、ちょっとずつ近づいて、これくらいなら大丈夫かなっていう距離を見極めます。なるべく平穏に過ごしたいと思っています。
生まれた時は父と母と3人家族だったと聞いてます。詳しくは分かりませんが、1歳か2歳の時に両親が離婚して、その後父と暮らしていました。
小学校に入る前は、おままごとが大好きで、保育園の先生に毎日のようにご飯をあげたりしていました(笑)。
おとなしすぎず、かといってガキ大将ってほどではなく、元気なこどもだったかと思います。保育園の送り迎えは父がしてくれていました。その頃はまだ父のことはそんなに嫌いじゃなかったと思います。
小学校は家から徒歩5〜10分くらいの近いところだったので、歩いて通っていました。保育園から持ち上がりの子もいましたが、意外と別の地域からの子も多かったです。
小学校時代はもうずっと外で遊んでいました。
父が少年野球チームのコーチをしていて、小学校2年生の時に半ば強引に体験に連れて行かれて、なぜかその場でユニフォームを渡され、入るかたちになってしまいました。
こんな風に父が勝手に話を進めてしまうということは結構あって…チームに入ることになった時はめちゃくちゃ嫌でした。外で遊ぶようになったとはいえ、お家の中でゲームとかして過ごしたいという気持ちもありましたし、きついことも得意ではなかったので…。何より毎週土日が潰れて、友達と遊ぶ時間がなくなるということがとても嫌でした。
でも、父に嫌とはいえませんでした。父は全部自分の思った通りにしたいという人なので、もうその頃には自分が何言っても父が決めたのなら無駄だな、と思って、仕方ないと諦めていました。
父は毎晩お酒を飲むんですが、小学校の中学年・高学年くらいになると、お酒に酔って暴力を振るってくることがありました。そういう時、小学校の時は、本当に、何も、感じないようにしていました。
暴力があることは母も、父の違う姉もわかっていて、姉は歳がひと回りくらい離れているので、一度児童相談所とかにも連れて行ってくれたんですけど、詳しくは覚えていないんですが、多分まだその時は私の現状が対応するレベルにまで達してないと判断されたみたいで、断られてしまったようでした。
勉強は小学校の時は得意というほどでもないし、特別苦手というわけでもなかったです。
性格は今よりすごくおとなしかったと思います。父のこともありますし、小学5〜6年生の時に同級生からいじめを受けたこともあって…人間関係のトラウマというか、苦手意識がすごく強くありました。
いじめは最初は小規模だったんですが、どんどん全体に広がって、私がいじめられていることを共通認識としてみんな知ってる、という状態だったので、もう誰も助けるみたいなことはしないし、私も助けてとかいえませんでした。
いじめの内容としては、無視されたり、本人に聞こえるように、本人の名前を出さない悪口とかを言われました。今思えば幼稚なんですけど、私も幼かったので、わざわざ毎回ダメージを受けていました。
先生達も途中から気づいて、一回私だけ別室に移動させられて、1〜2時間くらいクラスでお話しをしてくれた、みたいなことがあったんですけど、教室に戻る時すごく気まずかったです。その後、謝りに来た子達がいたんですけど、それも子ども達だけで、近所の公園みたいなところで、笑いながら土下座する、みたいな感じで…おそらく先生に言われたから、“私は謝りました”っていう事実だけ作りにきたって感じだったんじゃないかなと思います。私もそれで「許さない」とはいえなくて、「わかった、大丈夫だよ。」と答えました。
いじめられて、泣いて帰ったこともあり、父はいじめのことを知った時に、すごく慰めてくれて、相手の子に直接ではないですけど怒ってくれたりしました。父は子どものことが嫌いで傍若無人に振る舞う人ではなく、私のことも、姉のことも好きすぎて、その愛情の伝え方が下手くそみたいなタイプの人だったので、そういう父の慰めもあって学校に通い続けることができたと思います。
何人かは仲のいい友達もいました。
中学は地元の公立高校に進学しました。
中学に入ってからは、地域の女子野球チームに入り直しました。結構強いチームだったので、練習もきつくて、遠征とかも多かったし、そんな時は朝5時に車で拾ってもらったりしてました。基本土日練習だったので、お弁当を持って行っていました。お弁当はお父さんが作ってくれる時もありましたし、買っていくこともありました。中学校は練習のレベルが上がってきつかったんですが、それでも多少メンタルが強くなって、小学校のときみたいなちょっと嫌なことも受け流せるようになってきたので、中学の方がちょっと楽しかったかなと思います。
中学校では、最初の方は大丈夫だったんですが、1年の途中くらいからまたいじめがぶり返して、でもそこで私が面白い反応を示さなかったからか、中3くらいにはほとんどなくなりました。私もその子達は無視して、仲のいい子とだけいるっていう風にしていました。
部活は、絵を描くのも見るのも好きなので、美術部に入ってました。美術部の友達は今でも関わっている子もたくさんいます。活動は週2〜3回で、音楽祭とかそういう時は弾幕をかくとか、大きい仕事を任されました。大きいものをみんなで作るのは楽しかったです。
家庭環境は、中学くらいが一番激しかったと思います。傷とか見られたらまずいので、小学校の時よりは暴力的なことは減ったんですが、その分精神的な言葉、例えば容姿や命に関する言葉だったりとか、そういうのが激しくなりました。小学校の時よりも読解力が身についていたので、その分そっちの方が個人的には一番しんどかった時期ではあったと思います。父はお酒が好きで、お酒が入ると人格が変わるとまではいかないんですが、めんどくさい感じになります。今は、お酒を自分でコントロールしてるみたいなんですが、当時はあんまりしていなかったです。ちょっとアルコール依存症みたいなところがあったのかなと思います。毎晩飲んでいて、常に家には業務用の2Lの焼酎が置いてありました。
父が殴ってくる時は、何かに怒って、という時もありますが、私が寝ている時に無言で近づいてきていきなり殴られるということもありました。でも周りにバレたらめんどくさいので、そこは加減していたみたいです。私としては、逆に跡とかつけててくれた方が証拠とか取れてよかったんですけど。
中学の時はスマホを使いたい時はお父さんに借りて、中3からは自分のスマホを持つようになりました。そこでSNSの世界にどっぷりハマりました。現実世界で辛いことがあっても、SNSの中に自分の居場所があるからいいよ、と思っていました。そういう意味ではSNSは自分にとって精神安定剤みたいなところはあったかと思います。お父さんがアルコール依存症なら、私はSNS依存症だったのかもしれないですね。それくらい、大事に思っていました。高1でぱったり辞めて、今は全くしてないです。現実の方に居場所が多くできたからかなと思います。
母や姉には私からから相談することはなかったです。現状に慣れすぎていたので、相談したところで何か変わるとも思わなかったですし、暗い話をするよりは、会える時は普通に楽しく遊んだ方がよかったんだと思います。
学校の先生達は、何も気づいてなかったと思います。
勉強は、小学校よりはちょっと苦手になった、というレベルでした。得意科目は国語で、理数系や暗記科目は苦手でした。
中3くらいがマックスで本を読んでいて、現代のものや古典等色々読みました。好きな小説家は逸木裕さんで、好きな本は高校一年の時に読んだ、谷崎潤一郎の『痴人の愛』です。
メイクは中3くらいから始めました。周りもやってるし、私もやってみようかなという感じで始めました。その時は全然、好きという感情は特になかったです。
高校は推薦入試で公立高校に進学しました。その高校を選んだ理由は、家から近かったから、そして偏差値がそこまで高くなかったからです。そして何より、制服がすごく可愛くて、校則もそこまで厳しくなくて、メイクやスカート丈なんかにも比較的寛容なところもよかったです。
高校はすごく楽しかったです!小中で嫌だった人もいない学校だったので、そういう人間関係がリセットされて、改めて元の自分を出す、ということができました。私は本来、ずっとおふざけしてるような人間なんですが、小中ではそういう自分の面もあまり自覚していなかったと思います。
部活動は一応弓道部に入ってたんですが、途中から一時保護とかで学校に来れない時期もあったりして、戻るのがちょっと気まずいなというところもあったので、戻ってから部活はやめてなるべくバイトをするようにしていました。
児童養護施設に入所したのは高1の時です。先ほども話したと思うのですが、姉がずっと気にかけてくれていて、改めて高校生になったし、そろそろ別で住むことを考えてもいいんじゃないかというので、もう一回児童相談所に行こうと言われました。それで児童相談所に行き、そのまま一時保護になりました。私は学校が大好きだったので、そこから離れちゃうことはちょっと寂しいと思ったんですが、この日常から離れられるなら、その期間も必要かなという気持ちでいたので、ちょっと気持ちが楽になったという部分はありました。
期間としては1ヶ月くらいで、基本的に携帯とかは使えないし、外に出てもいけない、ご飯と勉強と運動の時間があって、あとはもうお部屋で同じ部屋の子と過ごすっていう感じでした。部屋には私含め3人の女の子がいて、年代はバラバラで、他の子達はみんな年下でした。夜、気分が上がっちゃうのか下がっちゃうのか、騒いでしまう子がいたんですが、それ以外は苦もなく一緒にいれました。そしてある日、スッと呼ばれて、そのまま児童養護施設に入所しました。同室の子達に挨拶するような機会もなく、さっと、はい、もうこのまま出ましょうね、みたいな感じでした。
幸いにも一時保護になったとき制服姿だったので、施設に入ってからちょっとしたらすぐに高校に再び通えるようになりました。
久しぶりに登校した時はすごく緊張しました。主に人間関係が、私のいない間にどういうふうに変化したのかわからなかったので、どう対応していけばいいんだろうと不安でした。でも嬉しい気持ちもありました。
一時保護のことは、本当に仲良い子には話したんですが、ある程度の人には特に何も言わなかったです。
勉強に関しては…高校に入ってからが、「赤点取らなければいいや」というくらいでとても苦手になってしまいました。現代文はまだ平均とか平均以上くらいだったんですけど、公式がなかなか覚えられなくて、理数系がとても苦手でした。暗記系の科目も苦手で、歴史とか、語呂合わせをしてもその語呂を忘れちゃっていました。短期記憶型だったので、毎回の小テストに全力で取り組んで、単位を落とさずにやってきました。
施設は一時保護の時の何倍も人が多くて、制限も多くて、ちょっと生活しづらいなというのはありましたが、とにかく新しい環境に慣れることに必死でした。
施設ではグループホームといって、一軒家のなかで子どもが私含め4人暮らしていて、3〜4人くらいの先生が交代でお泊まりをするっていう感じでした。部屋は1人部屋でした。やっぱり4人ってちょっと小規模なので、一緒にいるとすごく身近で、仲良くなりました。
お家よりも安心して寝られる環境っていうのが、私の中でとても大きかったです。家では父が深く寝入るまで、「寝たかな」というのをずっと気にしているような感じだったので。
施設の先生方には感謝の気持ちがとても大きいです。理不尽に怒られるようなことも特になかったので、マイナスな気持ちとかは特に持たずに、2〜3年間過ごさせていただきました。
この間施設の卒園式があって、そこでもお話ししたんですけど、やっぱり私が安心して過ごせる場所を、一番に考えてお仕事をしてくださっているので、そういう面でとても助かりました。精神的にも落ち着きましたし、安心できるような環境があったからこそ、前向きに進路についても考えられたので、すごく感謝しています。
施設に入所後、父とは面談で何回か会っています。特に大きくは変わってないですが、やっぱり離れることでちょっと気持ちが楽になったり、精神も安定してきたので、ある程度、前よりかは話しやすく思えるようになりました。
父の方は…どうなんでしょう。自分としてはそんなに悪いことをしている感覚ではないと思うので、私に対してはそんなに出さなかったですが、多少怒りを感じている部分はあるかもしれません。多少は落ち着いているとは思います。進学することは父にも話していますが、特に反対も応援もなく、という感じです。お金の面で父を頼る気はありません。進学費用を工面する余裕もないと思いますし、私自身もそれで父に借りを少しでも作るのが嫌だと思っています。
母とはコロナ前までは定期的に会っていたんですが、別の人と再婚し、妊娠・出産して、コロナ禍ではちょっと会うのは難しいということになり、しばらく会っていませんでした。でも5日前に、施設に入って以来2年ぶりに、母と会うことができました。母のことは大好きなので、会えてとても嬉しかったです。施設にいる間のことや、進学することも伝えて、好きなことが見つかったこと、進学することをすごく喜んでくれました。再婚するまでに貯めてくれていたお金もいただきました。母には小さい娘さんが2人いるので、支援いただくことにすごく気後れしてしまい、最初は断ったんですが…周りの方に私のために貯めてくれていたお金だし、使ってあげて、という風にお声がけを頂いて、ありがたく支援いただきました。これ以上は自分としては頼るつもりはありません。今の家庭を大切にして欲しいと思うので。
父や母、姉といつか一緒に暮らしたいとは思わないです。母には別の家庭がありますので。元々は姉と一緒に暮らしたいという気持ちがあったのですが、ここまで来たら、寮に入って、その後も社会人になって一人暮らしをして、っていうふうになると思うので、特に今は思っていないです。
高校1年の時に、ブライダルのお仕事に就きたいなと考えるようになりました。ちょっとタイトルは覚えていないんですが、とあるドラマを観ていた時に、別にブライダルが主題のドラマではないんですが、その中の冒頭のちょっとの結婚式のシーンでブライダルの方が新郎新婦さんにお話をして、緊張を和らげてあげたり、笑顔にしているシーンと見て、とてもいいな、と思い興味を持つようになりました。元々人を笑顔にするというか、幸せな環境というのがすごく好きで、参加する全員が幸せな気持ちになれるような結婚式に携わりたいと思うようになりました。
そこから、ブライダルの中でもメイクアップアーティストになりたいと思うようになったのは高校2年の時です。
元々、中3の時からメイクをするようになって、自分で自分にするのは好きだったんですが、そういう話を友達にしていたら「私にもちょっとしてほしい」と頼まれるようになって、友達にやってあげるということが増えまして、そこから「人にメイクするのって楽しいな」と思うようになりました。
それで、ブライダルとメイク、どちらも叶えられるブライダルのヘアメイクアップアーティストになりたいと思うようになりました。
進学先は、はじめは今の進学先とは別の専門学校を選ぶつもりだったんですけど、どうしても施設を出て一人暮らしをしなければならないということがあり、学校説明会でこちらだと寮があるということで、それが決め手になりました。進学先の学校の方がより知名度もありますし、安心感のあるカリキュラムだったので、決定要因は寮だったんですけど、それで今の専門学校に決めました。
進学を考えた時に、お金のことはとても不安だったので、奨学金にはなるべく応募しました。アルバイトも増やして、月4万円貯蓄するという目標を、月5万円に増やしたりもしました。普段はなるべくお金は使わないようにしていました。アルバイトは今もやっている販売のものと、飲食とを掛け持ちしていました。今のアルバイトをできれば続けたいですが、距離も少し離れてしまうので、一番勉学を大事にしたいので、変えようかなと思っています。施設の先生達にもお金のことはかなり相談に乗っていただきました
今の専門学校に進学が決まった時は、すごく嬉しかったです。もちろん技術を身につけることは第一なんですけど、美容業界って人との繋がりも大事になってくるので、なるべく色んな人と平穏に仲良く過ごして行けたらいいなと思います。
学校生活で一番楽しみなことは、授業です。メイクが大好きなので、学べることがとても嬉しいです。実習や海外研修などもあるそうです。
不安なことは、やはり金銭面です。美容系なので、授業料も高い分野ではあるので。次は学費を70万円以上払わなければならないので、学校が終わった後、毎日バイトっていう生活になるかもしれないですし、そういう面で、体調にも気を遣ってちゃんと学んでいけるのかっていうことも不安です。体は弱くないんですが、アルバイトとか、無理をしてしまうとすぐに熱を出したり、体調を崩してしまうというところはあるので。
人によって顔のバランスやタイプが違いますので、そういうのに全部適応して、その人の魅力を最大限に活かせるようなブライダルヘアメイクアップアーティストになりたいです。
結婚式って神聖な場所ってイメージがあると思うんですが、私の中で正直一番大切というか、大事にしたいなっていうのが、やっぱり自分の好きな人に一番可愛い姿を見せたいっていうことだと思っているので、その人の人生で結婚がが一回か二回か分からないんですけど、人生最大の舞台で、お客さんが自分の好きな人に一番可愛い姿を見せられるようなヘアメイクアップアーティストに早くなりたいと思っています。
自分の結婚式の時は、自分でするかもしれません(笑)。
また、仕事以外の面だと、自分のことも他人のことも思いやれるような人間でいたいなって思っています。高校3年間お世話になった担任の先生が、まさにそんな感じで、生徒のことも、奥さんとか子どものことも大好きな先生だったので、そんなふうに人に思いやりが分けられるような人になりたいなと思います。
私は家庭の事情とかもあって、人に頼るってことがすごく苦手だったんですが、施設に入って、周りの大人に頼れる環境であったりとか、施設の先生方がそういう体制をとってくれたことで、少し人に頼ることに対して前向きに考えられるようになりました。
また、一人暮らしの練習をしたときに、美味しいご飯が毎日出てくるありがたみを強く感じました。
ちゃんとご飯が毎日出てくること、周りの大人に頼れる環境に恵まれているということを自覚して、施設にいる間はたくさん頼って、自立に向けて過ごしてほしいなと思います。
(簡易版)
(詳細版)
支援者様への報告 毎月みらいこども財団よりメールで近況報告を送ります 数ヶ月に1回Zoom報告会を開催します(本人出席)
職員Aさん
千尋さんは高校1年生の途中から約2年半の間施設で生活をしていました。
高校生活の途中で環境が変わることになり、守らなければいけないルールや慣れない集団生活に苦労することもたくさんあったと思います。そんな中でも千尋さんは周りの人との関わりを大切にし、笑顔にしてくれるようなムードメーカ―的な存在になってくれていました。
美容の専門学校に進学することを決めてからはアルバイトに励み、忙しい毎日に苦労してヘトヘトになってしまうこともありました。しかし千尋さんは投げ出すことなく学業とアルバイトの両立を継続し自分の夢の実現に向けて努力をしてきました。
千尋さんであれば、時に悩み落ち込むことはあれど周りの人に相談し、解決しながら粘り強く将来の夢に向かって努力できると思います。千尋さんがより充実した学校生活を送り、将来の夢に向かって進んでいけるようご支援いただけますよう、どうぞよろしくお願い致します。
職員Bさん
千尋さんは、相手や周囲への気遣いが上手で、子どもに対しても職員に対しても、よく笑わせてくれる、とてもおもしろくて明るいお姉さん的存在でした。メイクやイラストなど得意分野や趣味も多く、好きなものの話をするときにはいつもキラキラした笑顔だったのが印象的です。
好きなものがたくさんある中で、仕事にしていきたいと選んだのが美容の分野でした。好きな物事への探求心があり、明るく、相手を気遣うことのできる千尋さんなら、きっと美容の分野でもその良さを発揮して活躍してくれると思います。千尋さんが学業に力を入れられるよう、ご支援いただけるとありがたいです。どうぞよろしくお願いいたします。
みらいこども財団では「貧困や虐待についての現状」「児童養護施設の現状と課題」「みらいこども財団の活動内容」について詳しくお伝えするオンラインセミナーを定期的に開催しております。まずはお気軽にご参加ください。
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児童養護施設の子どもたちを支援するには長期間にわたっての支援が必要不可欠です。 現在、児童養護施設に入所する子どもは低年齢化、さらに長期化しております。 1歳から乳児院に入り、18歳で卒業するまで児童養護施設で暮らす子どもが増えています。 そのような子どもたちを長期間支援するために、サポーター会員として継続的寄付をお願いいたします。
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遺言に基づいて特定の個人や団体に資産を分け与えることを「遺贈」といいます。 遺言書の内容により、受取人やその内容を指定することができます。 一部またはすべての財産の受取人として一般財団法人みらいこども財団をご指定いただくことで、日本で貧困や虐待で苦しんでいる子どもたちの支援や奨学金としてご支援いただけます。
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みらいこども財団は、内閣府が主宰する「子供の未来応援基金」の支援を受けています。 子どもたちに寄り添って草の根で支援活動をする団体として、第4回未来応援ネットワーク事業に採択されました。
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