目標金額 支援者一人あたり 12万円/年 × 4年間  募集人数6人

 

鈴木 友里奈さんのプロフィール ※本人が特定されないよう個人情報に多少の修正を加えています。

〇18歳(インタビュー時) 女性 (東北)
〇幼少期に両親が離婚し、妹とともに母親に引き取られる
〇高校1年生から児童養護施設に入所
〇2026年4月より4年制大学に進学、心理学を学ぶ 

自分自身のこと

長所は計画的に行動できるところだと思っています。手帳やお小遣い帳で金銭の収支や予定の管理をするのが好きです。周りからは真面目と言われることもありますが、実際はテスト前に短期集中型で頑張るタイプですね。
一方で少しマイペースなところが短所かなと感じています。一つのことに集中しすぎて時間を忘れてしまったり、一人が好きなタイプだから長い時間人の話に付き合っていられない面があります。
趣味はドラマやYouTubeを見ることです。推しのSnow Manにほぼ侵食された生活を送っています(笑)テスト期間なのにMVを7時間もぶっ通しで見てしまったこともあるくらい、一度熱中すると止まりません。

ライブにはまだ行ったことがなくて、大学生の間に行くことがひとつの目標です。高校生の間はお金を使い過ぎてはいけないのでファンクラブには入っていなくて、卒業式の日に入会すると決めています。地元にはなかなか来てもらえないのですが、遠征も含めて今から楽しみです。

 

生い立ちから幼少期

父と母と妹一人の四人家族でした。生まれは東海地方なのですが、その頃の記憶は全くありません。そこから東北に引っ越し、幼稚園の年長さんくらいまで今とは別の県で過ごしました。その後、両親の離婚を機に、母の実家がある今の県へと移り住みました。父との思い出はほとんどなく、どこで何をしているかも分かりません。風の噂で再婚しているらしいとは聞きましたが、連絡を取ることもありません。

小学校時代

小学生の頃は学校が大好きで、「長期休みはいらない」と言っていたほどでした。

ただ、放課後は友達と外で遊ぶよりも、家でテレビを見るのが好きな子でした。当時はゲーム機もスマホも持っていなかったので、唯一の娯楽がテレビで、そこでハマったのがドラマでした。

学校でも、お絵かきをしている友達を横で眺めていたり、図書室に行ったり、たまに誘われればドッジボールをしたり。そんな、おとなしくてインドアな過ごし方が多かったです。

中学校時代

人生の一度目の大きな転機は中学二年生の時で、初めて親と離れ、一時保護所に行くことになりました。
理由ははっきりと覚えていないのですが、母との喧嘩が激しくなり、近所の方が通報して警察が来ました。気づけば目の前に警察官がいて、お互いの安全のためにと引き離されました。これが私にとって「親以外の大人と初めて過ごす」という経験でした。
当時はお互いに口論がひどくなり、二人とも暴れてモノを投げ、家の中が散乱している…そんな状態でした。
今振り返ると、母とは価値観や人としての相性が根本的に合わなかったのだと思います。母はよく言えば心配性、悪く言えば過干渉。潔癖症な部分もあり、生活の中の細かな決まりごとが、私にはどうしても耐えられませんでした。

二ヶ月の一時保護を経て家に戻った後は、中学三年生の一年間は比較的平和でした。「受験があるから問題を起こさないようにしよう」というお互いの気持ちもありましたし、私の中に「一時保護所には二度と行きたくない」という強い思いがあったからです。
保護所での、決められた日課の中で過ごす窮屈さ、常に他人がいる環境、早い就寝時間などが本当に嫌だったので、一年間は必死に頑張ったのだと思います

高校受験では、10月頃までは別の学校を志望していました。ですが、「今の高校なら特待生がもらえる」と知り、英語が好きだったこともあって国際コースを受けることにしました。

ただ、これを母に相談せずに決めてしまったので、猛烈に揉めました。「私立には行かせられない」と言われていたのに、勝手に決めてしまったからです。今思えば怒られるのは当然ですが、当時は「確実に合格できる」という安心感が欲しくて、「受かればどこでもいいじゃん」と意固地になっていました。

そんな私が英語を好きになったきっかけは、中学時代の先生です。一時保護から戻り、授業に遅れて不安だった私に、唯一「大丈夫?」と声をかけてくれたのが英語の先生でした。その先生のおかげで、一度は「英語の先生になりたい」と夢見るほど、英語が大好きになりました。

高校時代

高校に入学すると、家庭環境は再び悪化していきました。高校一年生の冬、短期間に3回も一時保護を繰り返したんです。新生活のストレスもありましたし、高校生になって持たせてもらったスマホのルールが厳しく、常に中身をチェックされることへの不満。そして自分の部屋がなく、常に母や妹の気配を感じなければならない環境が、私を限界にさせました。
3回目のうち2回は近所の通報でしたが、最後の一回は、母自身が「もう手に負えない」と児童相談所に通報しました。何度も同じことを繰り返しているなら離れた方がいい、という判断になり、自立援助ホームを経て、今の児童養護施設に入所することになりました。
実はその前の段階でも、3ヶ月ほど自立援助ホームにいたことがあったんです。そこから「もう一度頑張る」と家に戻ったのですが、結局4回目が起きてしまい、私自身も「もういいや」と心が折れてしまいました。
メンタルは落ち、何もやる気が起きず、勉強も手につかない。高校一年生の冬が私の人生のどん底でしたでした。

施設への入所

入る前はお小遣いなんてなくて、スマホも使えないだろうと思っていました。もっと自由度も低いと思っていたし、暗い人たちばっかりがいるのかな、職員さんたちはどんな人たちなのかなという不安もありました。
事前の見学はしておらず、部活帰りにそのまま施設へ直行した入所初日のことは今でも覚えています。担当の職員さんと児相の職員さんから説明を受けた際に、「お弁当は自分で作ってください」と言われて、料理ができなかった私はパニックになりました(笑)いざ部屋に行けば、とにかく小さい子がたくさんいて、愛想よく相手しないといけないのかなと思って相手をしてたら具合が悪くなってしまって。あとちょっとで春休みが明けるから学校に行かないといけない、施設からの学校の道もわからない、お弁当は作らないといけない、でもどこで買い物したらいいかもわからない…とずっとパニックでしたね。最初の一年は最低限のことだけやって、あとは部屋にずっと引きこもっていました。
状況が変わったのは、個室へ移動できたことと、施設行事の夏祭りへの参加でした。昨年は参加できなかったのですが、今年は参加できて。グループでの出店準備やステージ発表の練習を通じて、職員さんや他の子たちとコミュニケーションを取る機会が増えたんです。「話してみたら案外楽しいじゃん、いい人じゃん」と思えて。それはお互いに思っていたみたいです(笑)
今は、話したい時には話し、一人になりたい時は一人でいられる、心地よい距離感の関係が築けています。

 

高校の部活動

高校では合唱部と生徒会を兼部していました。
合唱部は、趣味がカラオケだったので、「カラオケも合唱も歌うんだから一緒でしょ!」という浅はかな気持ちで入ったら全然違ったんですけど(笑)、とても楽しかったです。大学にも聖歌隊があるようなので、続けられるかなぁと楽しみにしています。
生徒会は中学生の時から6年間やっていました。最初は親に「内申点に良いから入りなさい」と言われて入ったのですが、いざやってみるとスケジュールを立てたり「生徒会だより」を書いたりする作業が自分に合っていました。
高校でも、予算の管理や全校アンケートの集計など、地道な作業が楽しくて。夜遅くまで学校に残って生徒会の仕事をする時間も楽しかったです。立候補の時は全校生徒の前で演説もしました!
合唱部はもともと週5で、生徒会も文化祭前の忙しい時期だと週5で活動がありました。文化祭の時期は、合唱部(発表側)の練習と生徒会(運営側)の準備で「今日はどっちに行けばいいの!?」という状態。どちらかを辞めようかと悩んだこともありましたが、最後までやり遂げたい一心で、自主練を増やしたり、家で譜読みをしたりして、どちらも全うしました。
クラスの友達とも、部活や生徒会での友達とも仲が良くていい関係を築くことができて、楽しい高校生活を送れました。

 

大学進学について

やっぱり大半の人が進学するし、将来の選択肢を拡げるためにも進学することは決めていました。
最初は英語の先生になりたいと思っていましたが、高校英語が難しくて断念。その後、興味を持ったのが心理学です。自分自身が心理士さんに話を聴いてもらったり、ドラマで人の感情が動く様子を見たりする中で、人の心の仕組みを知りたいと思うようになりました。

施設での暮らし、職員さんへの思い

施設で暮らしていることは学校では隠したいと思っていました。提出書類の保護者欄が職員さんの名前だったり、文化祭などの行事で「親は来ないの?」と聞かれたり、近所の友達に「家族は元気?」と声をかけられたり……。一般家庭との違いを突きつけられる瞬間はたくさんありましたし、どうごまかすか、どう答えるべきか、苦慮しました。

職員さんには感謝しかありません。生活を整え、大学進学のための膨大な書類作成を一緒にやってくれたのは全部職員さんだったので。あと、高校2年生の時にオーストラリアへ二週間の語学研修に行ったのですが、施設にいなければ経験できなかったことだと思います。
もう一つは、「ちょっと迷惑をかけてごめんなさい」という気持ちです(笑) 私が突発的に動いてしまって夜中に救急病院に連れて行かれるようなこともありました。他にも細々したこと、いろんな事務手続きや親との連絡など、私が知らないところでもたくさん迷惑をかけていたんだろうなと思います。

 

母親への思い

最近、母と面談する機会がありました。私が考えた質問をぶつけるという形でしたが、母もまた精神的な課題を抱えていたこと、そして私の妹も、私と母の喧嘩を見ていた影響で今学校に行けなくなっていることなどを話してくれました。
最近つくづく思うのは「私は施設に入っていなかったらこの4月からどうしていたんだろう」ということです。家にいたら受験の話は一切できなかったと思います。話せばすぐ喧嘩になってしまってお互い冷静に話ができる環境ではありませんでした。
施設という環境があったからこそ、やるべきことに集中でき、毎日学校に通うことができました。もちろんストレスもありましたし、良いことばかりではなかったですが、「必要な決断だったな」と思っています。
(財団スタッフ:離れるという決断をしてくれたお母さんへの感謝も含まれていると感じました)

将来の目標

大学では心理や福祉について学べるので、その分野の職に就きたいです。
具体例をあげるとすると「公認心理師」です。大学院まで行って国家試験を受けて合格しないとなれないので、勉強は必須だなという気持ちでいます。やっぱり自分が今いるような施設と関わる形になるんじゃないかなと思っていますが、スクールカウンセラーとかにも興味があります。これから色んな心理学を学んでいく中で決めて行けたらと思っています。

担当してくださった心理士さんみたいに、話をちゃんと聞くことができて、その人にあった解決策を一緒に見つけていけるような心理士になりたいです。あとは現在のサポートに留まるのではなく、将来のことも一緒に考えてサポートしていけるような人になれたらと思います。それがどのくらい難しいかは未知なのでこれから勉強していきたいです!

 

そして、プライベートと仕事をきちんと割り切って、どちらも充実できる人になりたいです。推し活などの自分の楽しみを原動力にしながら、仕事でもプライベートでも目標をもって頑張れるような人になりたいと思います。

 

後輩へのメッセージ

感謝は大切だと思います。支えてくれている施設の職員さんだけじゃなくて、親や児相の職員さんとかに対して、私自身が今何を思うかというと感謝なんです。
それから、言いたいことはちゃんと言った方が良いと思います。喧嘩してでも何してでも、ちゃんと言える時に言った方が良いと思います。
あと、環境が許すなら、高校生のうちはちゃんとアルバイトをした方がいいです(笑)私は校則で禁じられていたから、金銭的に苦しい状況なので。良い社会経験になるし、人間関係も広がるし、お金は後々の自分を助けたり苦しめたりする大きな要因になると思うので大事だと思います。
私はテスト、生徒会、部活。とにかく目の前のことをずっとやってきたら、大学や奨学金の推薦をこうしていただくことができています。とにかく今できることを一個ずつ頑張ってください。

 

資金計画

(月収支)

(詳細版)

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