支援金をお渡しした方へのインタビュー第二弾です。
Wさんは児童養護施設、里親家庭を経験されました。インタビューさせていただいた内容を数回に分けて掲載いたします。
◇生い立ち(家族構成)から施設に入った経緯
家族は母と妹と弟がいます。父は小学校5年生の時に脳出血で亡くなりました。母と3年以上会ってないのでわからないですが、今は家族としておそらく4人だと思います。
施設にいたのは11才から16才の3月までです。
父が亡くなる1年くらい前に、母が今思えばおそらくギャンブル依存症で、パチンコに行って家賃を滞納していて、家を追い出されて1ヶ月くらい車上生活をしていました。
父は普通に仕事をしていたんですけど、家にほとんどいなかったので、自分のお金がそこまで使い込まれていたとは知らなかったと思います。父が家を探して、1ヶ月の車上生活は終わりました。
引っ越したのが家賃の安い古くてボロボロな家だったので、転校先の学校で「ぼろ屋敷」といじめられたり、仲の良い友達がなかなかできなかったり、環境の変化になじめず、家出をするようになりました。
小学校5年生に上がる前に父の血液系の難病が見つかり、仕事ができなくなってしまいました。家のテレビが売られてしまったり、その前からも母がお金を使っていて、学校がない日、夏休みや冬休みは一日一食パン1枚での生活はずっとあったんですけど、父の病気発覚後からさらにひどくなりました。
その後5月に父が脳出血で病院に運ばれて、次の日に亡くなりました。
当時の気持ちは覚えてないんですけど、家出したり、ご飯が食べられなくていつもお腹を空かせてスーパーのものを取ってきちゃったりして食べ物を確保していて、お店にばれることも何度もありました。そういうことが重なって警察にマークされていたと思うんですけど、5年生の夏休みに家出して警察に保護された時に、「お母さんとかにご飯食べさせてもらってる?虐待されてない?」と聞かれて。普通に身体的・心理的虐待もあったし、「あんたなんか産むんじゃなかった」などもよく言われていたので、それを伝えて、児童相談所に保護されました。
しばらく一時保護所で生活していたんですけど、児相の人から「家に帰るか施設に行くかどっちがいい?」と聞かれました。普通の子であれば「お母さんと一緒にいたい」という子が多いんだと思うんですけど、小さい頃から母のことが本当に嫌いで、パチンコばっかりして家のこともしない、まわりの友達のお母さんと全然ちがうというのが本当に嫌だったし、「お母さんと一緒に暮らしたらまた私は同じことをするから施設に行きたい。」と言ったら、児相の人も「そこまで自分のことわかってるんだったら、施設に入れるように頑張るね」と言ってくれました。当時は県内の施設の空きが全然ない状況だったと思うので、無理やり入れてもらえた感じでした。
(②につづく)
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